中村豪氏 ©文藝春秋 「あのとき、イチローに投げさせてやりたかった」 「序盤に大量点を与えてしまい、イチローに登板させる機会を逸してしまった。今回の大船渡の決勝を見ていて、佐々木温存を決めた監督の意図もわからないではありません。ただ、私はずっと後悔している。あのとき、イチローに投げさせてやりたかった」 中村氏は1978年に愛工大名電(当時は名古屋電気高校)の監督に就任。81年夏にはエース工藤公康(現・福岡ソフトバンクホークス監督)のノーヒットノーランなどの活躍で甲子園でベスト4。90年夏・91年春にはイチローを率いて甲子園出場を果たした。監督時代に14人のプロ野球選手を輩出した名伯楽だ。 「佐々木君が岩手大会の4回戦で12回194球投げたのは、絶対的なピッチャーが彼1人しかおらんかったからでしょう。それが決勝で影響してしまった。私も工藤(公康)のときにベスト4まで行ったときは、それまで3試