古代史に関するaranciarossaのブックマーク (18)

  • すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか(4)白山比咩神社が鎮座する「境の場」 - 古代史は小説より奇なり

    白山比咩神社は加賀地方の鶴来(ツルギ)町(現・白山市)の、白山から流れ出る手取川を見おろす高台に鎮座しています。 手取川は古代においては比楽河と呼ばれていました。 「ヒラ」の”ヒ”は、古くから”シ”と転訛しやすい音であり、ヒラ=シラ、要するに「シラ」の川だったと(あくまで私見ですが)考えられます。 つまり「シラ」ヤマから流れ出る「シラ」の川の横に鎮座しているのです。 しかももっと大事なことがあります。 それはこの神社が、 「死の世界(あの世)」と「生の世界(この世)」のちょうど境界に位置している、ということです。 この神社は白山(シラヤマ)を源流とする手取川(シラの川)が、狭い山間部から広い平野へと流れ出る扇状地の「扇頂」部分、扇のかなめの部分に位置しているのです。 このことが意味することとは何か。 古来、「山」とは死者の霊魂が赴くところと考えられてきました。 なかでも「シラ(死と再生)」

    すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか(4)白山比咩神社が鎮座する「境の場」 - 古代史は小説より奇なり
  • すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか(5)沖縄と加賀の不思議な一致 - 古代史は小説より奇なり

    「シラ(死と再生)」の信仰である白山(シラヤマ)信仰に基づいた「擬死再生(=ウマレキヨマリ)」の儀礼は、白山を仰ぐ加賀よりもむしろその近辺の地域に有名なものが残っています。*1 三河地方の「花祭」における「白山(シラヤマ)行事」や、富山県立山の芦峅寺における「布橋灌頂(ぬのはしかんじょう)」がそれです。 詳しく述べる余裕はありませんが、いずれも「橋」を渡って「暗く密閉された空間」に籠もったあと、解放されることで”新たな力強い自分に生まれ変わった(ウマレキヨマル)”ことを実感するというものです。 では肝心の加賀にはそのような民俗儀礼がまったく残っていないのかといえば、花祭や布橋灌頂ほど大々的ではありませんが、じつは細々と伝えられてきた”奇習”があります。 それが金沢にいまも残る「七つ橋渡り」です。 金沢の古い街なかだけで口伝えで伝承されてきた行事です。 この行事は春と秋の彼岸中日の真夜中午前

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  • すべては沖縄から始まった~有史前の日本に何が起こったか(3)シラヤマ信仰と「境の場」 - 古代史は小説より奇なり

    「シラ」の”転換力”が発現する「場」。 それと密接にかかわる白山(シラヤマ)信仰の質とは。 白山(シラヤマ)信仰。 その総宮が石川県の加賀地方にあります。 現在は白山市の一部となっている鶴来(ツルギ)町に鎮座する「白山比咩神社」(シラヤマヒメジンジャ)です。 その主祭神は「ククリヒメ」。 菊理媛と書きますが、まあこれは当て字と思っていいでしょう。 神社の名前が”シラヤマヒメ”(白山姫)ですから、「ククリヒメ」こそが”シラヤマヒメ=白山の女神”だとされているわけです。 このククリヒメ、実はほとんどどういう神なのかわかっていない、という”謎の女神”でもあるのです。 なにしろ古代文献に出てくるのは『日書紀』の「神代巻」のなかでもただの一か所、 「一書(あるふみ)にいわく」として書かれている所だけ。 ここでは「国生み」で有名なイザナギが、死んでしまったイザナミに会いたいと思って黄泉の国に行

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  • 「麒麟がくる」の時代 ~ 本能寺の変の黒幕は? - 古代史は小説より奇なり

    先週から大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりましたね。 ナカナカ期待を抱かせてくれる初回でした。 というわけで今回は「すべては沖縄から始まった」はお休みにします。 コッチの話題を早めに言っておきたいので(笑)。 とは言え仮定に仮定を重ねたハナシですので、歴史のオモシロ話として眉にツバしながら(笑)読んでいただければと思いマス。 さて、明智光秀といえば能寺の変。 ほぼ丸腰に近い織田信長を大軍で襲って自害させた犯人とされてます。 能寺の変といえば「信長の遺体が見つかっていない」などツッコムべき謎も多く、昔から諸説紛々なわけですが、今回はその事件の「黒幕」について一言。 以前からワタシがギモンに思っていたのが、その直前のある事件。 光秀が主君信長から安土城での徳川家康の饗応役を命ぜられ、そこで腐った魚を出してしまって信長の激怒を買い、その役を降ろされてしまった、というアレです。 信長から罵倒され

    「麒麟がくる」の時代 ~ 本能寺の変の黒幕は? - 古代史は小説より奇なり
  • 「麒麟がくる」の時代(2) ~ 秀吉=藤吉郎は本当に農民の出身なのか - 古代史は小説より奇なり

    大河ドラマ『麒麟がくる』では、前回ついに「藤吉郎」 、のちの豊臣秀吉が登場しましたね。 当に「猿」扱いでしたが(笑)。 一般に藤吉郎は農民の出身だとされていますが、皆さんはこれを信じてますか? ワタシはもちろん(笑)信じておりません。 kagenogori.hatenablog.jp 秀吉と言えば「黄金」が有名ですね。 茶室までキンキラキンにしてしまったくらいですから。 彼は”黄金”を湯水のように使ったように考えられていますが、少なくとも敵も味方も”手なずける”のに、黄金の力を有効に使っていたようです。 その意味では、 「黄金」は重要な戦略物資だったとも言えるでしょう。 とは言え、黄金を手に入れるのは実に大変なことで、権力者だからと言って、いながらに手元に入って来るわけではありません。 黄金は元はといえば主に「山」の中にあります。 どの山に黄金があるのかを探る手段、その後の採掘、精錬、加

    「麒麟がくる」の時代(2) ~ 秀吉=藤吉郎は本当に農民の出身なのか - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2023/02/26
    秀吉の謎…興味深いです✨色々教えて下さり ありがとうございます(*^^*)
  • 秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(1) - 古代史は小説より奇なり

    どうも、北陸は金沢で林業を生業としてますkagenogoriです。 「Good Old Music、Fantasticな高校野球」というブログをやってます。 そこでは、主に80's以前の洋楽、邦楽(ジャズ、フュージョン含む)について、大好きな高校野球について、その他日々思ったこと、感じたことなどを書かせていただいてますが、ホント言うと古代史が一番得意なんですね。 実はamazonさんから泉雄彦のペンネームで『影の王』という著書も出させていただいてます。 影の王: 縄文文明に遡る白山信仰と古代豪族秦氏・道氏の謎 (MyISBN - デザインエッグ社) 作者: 泉 雄彦 出版社/メーカー: デザインエッグ社 発売日: 2018/03/19 メディア: オンデマンド (ペーパーバック) この商品を含むブログを見る そこでこの度、古代史専門のブログを開設します。 古代史といっても、日でいえば縄文

    秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(1) - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2023/02/22
    興味深いお話をありがとうございます!勉強させていただきます(*^^*)
  • すべては沖縄から始まった~有史前の日本列島に何が起こったか(1)シラヤマ信仰 - 古代史は小説より奇なり

    沖縄(琉球)が太古の日列島の文化にいかに関わっていたのか、というのがこのシリーズを始めるにあたって前回掲げた命題でした。 太古、とかなりあいまいに言いましたが、とりあえずワタシが問題にしたいのは縄文時代。 少なくとも5000年は遡ります。 まずは沖縄とあまり関係なさそうな「白山信仰」の話から始めましょう。 白山信仰。 日三霊山のひとつ、「加賀の白山」を信仰対象にした山岳信仰だと言われています。 ところで恐らくアナタは、これを「ハクサンシンコウ」と読んだと思います。 白山=ハクサン。 もちろんそれで正しいのですが、このブログでは少し呼び方にしたいと思いマス。 そもそも「白山」を「ハクサン」と訓むようになったのは近世、江戸時代以降のことだといいます。 ではそれ以前はどう呼んでいたのかといいますと、言うまでも無くそれは「シラヤマ」でした。 平安時代の多くの文人・歌人も「越の白山(こしのしらや

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  • 秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(9)長江文明と縄文の交易、そして大量移民 - 古代史は小説より奇なり

    長江文明は日列島の縄文文明に、縄文前期(7300-5500年前)の頃から関わっていました。 問題は、そこに「交易」は存在したのかどうか。 もしそうなら、長江文明において交易を担ったと推測される秦氏の前身となる集団が、その海上交易にも関わっていたのかどうか。 まず縄文の「海上交易」について見てみましょう。 じつは縄文よりはるか以前の旧石器時代の日列島には早くも、遠隔地との遠距離航海による「交易」活動があったことが確実視されており、さらにその専門集団の存在さえ想定されています。 この旧石器時代にはすでに原始的な「帆」を付けた丸木舟レベルのものがあったことは確実と言われています。 縄文時代にも活発な海洋交易(それもかなりの遠距離の)があったことは、各地の出土物の分布から確実視されています。 長野県のような内陸との交易でさえ、河川を利用して海上まで出ていたと考えられています。 日列島の土壌は

    秦氏の謎 いつ、どこから来たのか(9)長江文明と縄文の交易、そして大量移民 - 古代史は小説より奇なり
  • 縄文人とイヌイットの関係? アラスカ発見のペトログリフが真脇出土のものと似てるような・・・ - 古代史は小説より奇なり

    まずはこちらの記事(5/28(土)付)をご覧ください。 雑誌『サライ』さんのサイトからお借りしました。 serai.jp (こちらも別のところからお借りしましたm(_ _)m) 出典: USDA Forest Service Alaska Region 先史時代のものであるペトログリフ(岩面彫刻)自体は世界中で見つかっており、 それらは距離的に大きな幅があるにもかかわらず、 その文様のデザインは(すべてでは無いですが) どれも比較的似通っているように思われます。 その代表的な文様のひとつが上記写真に見られるような同心円状の文様です。 記事にもあるように、このアラスカのペトリグリフ(岩面彫刻)は 8000年前という意見が有力なようです。 日列島で云えば、、 縄文文化が飛躍的に発展し始める縄文前期(7300年前~5500年前) よりもさらに古い、縄文早期(1万1000年前~7300年前)のあ

    縄文人とイヌイットの関係? アラスカ発見のペトログリフが真脇出土のものと似てるような・・・ - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2022/06/08
    興味深いお話ありがとうございます。想像がどんどん広がっていきますね… 歴史に疎い私ですが^^; 過去記事とあわせて 楽しく読ませていただきました!
  • 秦氏の謎2 秦氏とユダヤ人(4)草原ルート 番外編 アシュケナージとは - 古代史は小説より奇なり

    まずアシュケナージ(アシュケナジー)とはなにか。 現在ユダヤ人は大きく二つに分けられ、そのうちドイツ・東欧系のユダヤ人の子孫がアシュケナージと呼ばれ、スペイン・中東系の子孫がセファルディーと呼ばれます。 とはいってもそれ以外の地域出身のユダヤ人も当然いるわけですが、あくまで大まかな分け方なので、白い肌に青い目という外見が白人と変わらないユダヤ人がアシュケナージ、そうでないユダヤ人がセファルディーと考えれば、おおよそ間違いではないようです。 したがって見た目がほぼ黒人種と変わらないエチオピア出身のユダヤ人もセファルディーに分けられることが多いようです。 ちなみにアシュケナージの複数形がアシュケナージムで、セファルディーの複数形はセファルディーム。 つまり集団としてのアシュケナージをとりあげる場合、アシュケナージムとするのが実は正しいので、以下アシュケナージムと表記させていただきます。 さてド

    秦氏の謎2 秦氏とユダヤ人(4)草原ルート 番外編 アシュケナージとは - 古代史は小説より奇なり
  • 地上に描かれた謎の図形 - 古代史は小説より奇なり

    今回は、ちょっと不思議な巨大図形についてのお話です。 問題提起という意味も込めて・・・ 沖縄県久米島沖の海底図形 このグーグルアースを開いてみて下さい。 earth.google.com 沖縄島の西にある久米島。 その久米島の真北、数十kmの海底に、 巨大な長方形があるのがお分かりになるでしょうか? 「地上に」というタイトルとは、いきなり反する海底ですが(笑) この長方形、ほぼ正確に東西南北の線に沿っています。 そして長方形の内部にもやはり正確に東西と南北の直線が、 いくつも引かれています。 格子状?なのでしょうか。 一体何だと思われますか? まるで古代の長安や平城京、平安京のようですね。 よく見ると、その南側に大きなピラミッド状の山(海山) があることに気付きます。 ただピラミッドは四角錐ですが、これは三角錐のようにも見えます。 そういえば(この海底ピラミッドは南側ですが)平安京の北側

    地上に描かれた謎の図形 - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2021/08/14
    興味深いです✨
  • 旅をするなら ~番外編~   若狭・古代史の旅(*´ω`*) - 古代史は小説より奇なり

    どうもお久しぶりでございますm(_ _)m 先日、独りで福井県は若狭地方へ日帰り旅をしてまいりました。 福井県の下(南)の方、細長い部分が若狭地方です。 その上は越前地方。 若狭地方は当に大好きなところで、 日中に好きなところはいくつかあるのですが、 地元石川もふくめて日で一番好きな地域かも知れません(*´ω`*) その中でも特に好きな場所があります(#^^#) それは小浜市の山間部(というほど山の中ではないのですが.笑)にある、 「鵜の瀬」と呼ばれる場所です。 細かい説明は後にして、とりあえず行ってみましょう(●^o^●) 敦賀から若狭を縦断する国道27号線を行き、 小浜市にはいってから県道35号線へと左折しますと、 遠敷(おにゅう)川が流れる「遠敷」と呼ばれる地域になります。 その入り口あたりに、まず、 海神の娘・豊玉姫を祀る若狭姫神社が鎮座しています。 若狭姫神社 鳥居 「下宮

    旅をするなら ~番外編~   若狭・古代史の旅(*´ω`*) - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2021/05/17
    楽しい旅のお話有難うございます。鵜の瀬は行きましたが神秘的ですよね!二月堂まで続いていると思うと面白いですね!近くの店で塗り箸を買いました。越前岬と鳥糞岩も見ました!役行者は最近よく目にします。。。
  • 義経と黄金 暗躍する「鬼」 ⑤ - 古代史は小説より奇なり

    ちょっとご報告になります。 古代よりもさらにさかのぼる、歴史年表でいえば「原始」とされている(実は全然「原始」ではないのですが)縄文期における東北・関東を中心とする東日、そして北陸の関係について、ワタシの中で一つの発見がありました。 じつにささやかな発見だったのですが、これまでのこのブログでワタシが説明しようとしてきた考えの再構築を促すものでした。 再構築といっても、ワタシの説の大きな枠組みが変わるというわけではなく、むしろ補強することになるものなのですが、今はまだその論説を組み立て直すにあたって、その方向性を探っているような状態です。 繰り返しになりますが、原始~古代にかけての東北(東日)と北陸の関係についてです。 ワタシは拙著『影の王』というの中で、縄文から弥生期あたりにかけて北陸に大きな宗教的国家(というよりは「クニ」)があったことを、論考したことがあるのですが、今回の『義経と

    義経と黄金 暗躍する「鬼」 ⑤ - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2021/01/26
    kagenogoriさん こんばんは!お話は高度過ぎてついていけませんでしたが『影の王』...たいきメンさんの記事のコメント欄でお見かけしたような気がします...なんと!kagenogoriさん本も書かれてたのですか👀 尊敬します✨
  • 義経と黄金 暗躍する「鬼」 ④ - 古代史は小説より奇なり

    さて、前回では義経よりもさらにさかのぼった古代に、「鬼」たちのリーダーと期待された人物がいたのではないかと述べました。 そのことに言及する前に、もう少し義経の周辺について、おさらいもふくめて見てみましょう。 義経の兄、頼朝は義経を過剰なまでに追い詰め、その首を見るまでは安心しませんでした。 たしかに朝廷の支配から独立した武家政権を鎌倉に打ち立てようとしていた頼朝にとって、官位を勝手に授かってしまった義経は、あまりに無邪気とは言え許しがたいものがあったでしょう。 しかし実の弟、しかも平家を滅ぼした最大の功労者の凱旋にたいして、鎌倉へ入ることさえ禁じるというのは、やりすぎのようにも思えます。 それならまず対面して義経の言上を聴いてから、叱責するなり罰を与えるなりすればいいのですから。 結果的に、義経の反抗的態度を促したのは頼朝ということになります。 一応「結果的に」と言っておきますが。 それは

    義経と黄金 暗躍する「鬼」 ④ - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2020/11/22
    kagenogoriさんこんにちは!興味深いお話をありがとうございます!私には相変わらず難しいですが とっても勉強になりました!鞍馬寺は行ったことがあります😉貴船神社にも行ってみたいですがバスの便が不便なんです💧
  • 桃太郎の鬼の正体は?(2) - 古代史は小説より奇なり

    前回では桃太郎の鬼すなわち温羅(うら)とは、製鉄によって力を築いた吉備の首長であろうということまでは確認しました。 同じく前回ではブラタモリの番組内で言われていた鬼の特徴(吉備津神社に残る古文書による)として、 「頭に角のようなものがある」 「(鬼は)火を口から吐き、近隣の山々を焼く」 というものがあると述べました。 このような特徴を持つ製鉄民。 このブログを読んできた方なら、何となく覚えがあるのではないでしょうか。 頭部に「角」があり、口から火を吐き、優れた鉄製品を産み出す鬼神。 これは中国で言えば「蚩尤」、わが国でいえばまさに「アメノヒボコ」の特徴です。 弥生後期に日列島を席巻したアメノヒボコが、秦氏の直接の祖先であろうことは、当ブログで繰り返し述べてきたことです。 古事記等の文献に載るアメノヒボコの伝承地は播磨、摂津、近江、若狭、但馬などですが、実は吉備のクニも古文献に載りはしない

    桃太郎の鬼の正体は?(2) - 古代史は小説より奇なり
  • 桃太郎の鬼の正体は?(1) - 古代史は小説より奇なり

    またしてもブラタモリからのネタ(笑)。 昨日11月30日のブラタモリの舞台は岡山。 ワタシの尊敬する磯田道史先生(ワタシより5歳も年下なんですが.笑)をゲストに迎えて、桃太郎と鬼の正体に迫るというものでした。 番組の結論(的なもの)は、鬼は当時(弥生末期~古墳初期?)の吉備地方を支配していた(おそらく)クニの首長で、朝廷に従わなかったために桃太郎、すなわち大和朝廷から派遣された天皇の子息:吉備津彦に征伐されたのだろうと、まあおおよそこんな話だったと思います。 番組内では具体名は出てこなかったように思いますが、鬼の名前は「温羅(ウラ)」と言います。 番組では鬼(=温羅)が立てこもった「鬼が島」のモデルと考えられてきた山城「鬼ノ城(きのじょう)」も紹介されていました。 この温羅、といいますか温羅の一族が実は、ワタシの大好きな(笑)秦氏に大いに関係しているのではないか、というのが今回のオハナシで

    桃太郎の鬼の正体は?(1) - 古代史は小説より奇なり
  • 義経と黄金 暗躍する「鬼」 ③ - 古代史は小説より奇なり

    長らくご無沙汰してしまいましたm(_ _)m 前回では、義経は「鬼」たちを統べるリーダーとして、幼少のころから期待されていた、と述べました。 kagenogori.hatenablog.jp 義経は「鬼」だったのか。 義経のまわりにいた人達を見てみましょう。 鬼一法眼については前回見ましたので、弁慶から。 弁慶 弁慶の名は史書『吾鏡』にも記録されており、一応実在していたと考えられますが、その出生から事績については、物語上で語られるのみです。 そのため彼についてのエピソードがすべて彼自身のものというより、他の人物のことも併せて、物語上では弁慶のものとしている、という説も根強くあります。 いずれにせよ、そのような人物(あるいは人物群)が義経のまわりにはいたと考えられ、そのことこそが重要ですので、便宜上ここでは弁慶という一人の人物として述べさせていただきます。 弁慶の出生には諸説ありますが、も

    義経と黄金 暗躍する「鬼」 ③ - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2020/10/04
    kagenogoriさんのその知識はどこからきているのでしょうか!音楽といい歴史といいいつも驚かされます✨次回も楽しみにしています(^_-)-☆
  • 義経と黄金 暗躍する「鬼」 ② - 古代史は小説より奇なり

    皆様、大変長い期間を開けてしまいましたことを、お詫び申し上げます<m(__)m> 「鬼」 。 この日には古代から中世にかけて、 「鬼」とされてきた(というよりされてしまった)人々が存在していました。 前回、鬼は「~童子」と呼ばれることが多いと言いましたが、それは外見上の特徴からも言えます。 すなわち「鬼」と呼ばれた人々は、外見上は「童形」 、つまり成人しているにもかかわらず、髪型が当時の子供(童、童子)と同じ「禿(かむろ)頭」という特徴があったのです。 「禿(かむろ・かぶろ)」とは、髪の毛の先を切り揃え、結ばずに垂らしておく”おかっぱ”のような髪型をいいます。 金太郎の髪型を思い起こしていただけれ分かり易いと思います。 当時の子供は、数え年で十五歳の「成人」になるまで、この髪型をしていました。 「鬼」がこのような子ども(童・童子)の姿をしていたことには、理由があります。 それは「童・童子

    義経と黄金 暗躍する「鬼」 ② - 古代史は小説より奇なり
    aranciarossa
    aranciarossa 2020/07/16
    私にはお話が高度過ぎて^^;山の民に育てられた義経が武家には常識外れな戦法を使って勝利するので 恐れた頼朝に処されたというような話を司馬遼の小説で読んだ気がします。それも義経が鬼と言われる所以でしょうか…
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