時と共に色が変わっていくがゆえに 無常という花言葉もあり 七変化とも呼ばれる紫陽花。 幼い孫の成長と重なるな。
![江ノ電 無常 - 横浜鉄道写真館](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/134ff6a466c61bf77c91fe77bf547d6d44682602/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fs%2Fsoft_machine%2F20240621%2F20240621070713.jpg)
今にも雨が降り出しそうな気配を感じ 霊仙山からの俯瞰を この日の最後の江ノ電撮影にしました。 私が立つ霊仙山、 鎌倉時代は極楽寺の境内で 住職の忍性は、 山頂に塔頭・仏法寺という一院を建てて 住居としていました。 また 1333年のちょうど今頃(5月18日~)の 新田軍の鎌倉攻めの時には、 大仏貞直を将とする北条軍が この山全体を防御陣地にして 霊山や極楽寺坂などこの辺りの山地一帯に 木戸を構えて盾を並べ強固な陣を構えました。 (ちなみに、当時の極楽寺切通しは、 今より勾配がきつくて切通しの高さは 現在の成就院の山門の位置でした。) 霊仙山の海側は海岸の砂浜の幅が狭く 北条軍は、波打ち際まで 逆茂木(さかもぎ)をめぐらします。 沖には多数の船を浮かべて 新田軍が海岸つたいに進攻しようものなら 矢を射掛けようと待ち構えました。 そのような隙のない北条軍の防御線を 新田義貞は、どのようにして打
開かずの踏切と言われ 京急本線で都内に残る最後の踏切 京急品川駅の南方にある 品川第一踏切道、品川第二踏切道、 北品川第一踏切道が 6年後にはなくなるというので 記録のために撮影しておきました。
12月の大岡川は、 寂しさを漂わせていました。 今年、世界や日本にあった沢山の禍、 来年に将来に残ってしまったな
桜木町~関内という 横浜中心街の街中で 秋を見つけたので 撮っておきました。
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