【書評】『イタリア人が見た日本の「家と街」の不思議』ファブリツィオ・グラッセッリ・著、水沢透・訳/パブラボ/1000円+税 【評者】井上章一(国際日本文化研究センター教授) 日本人は、強い自己主張をきらう。まわりとの調和を大事にする民族だと、よく言われる。和をもって尊しとする。そんな国民性論を耳にすることも、ままある。 しかし、街並みと建築に関しては、この一般通念がまったくあてはまらない。市中のビルは、街全体の統一感に気づかうことなく、てんでんばらばらの色や形で、たっている。隣接する建築群の顔色をうかがって、自分のデザインをととのえたりも、まずしない。建築の表現については、地権者や建築家の自由が、ほぼ完全にまもられている。 くらべれば、ヨーロッパ諸都市のほうが、ずっと不自由である。あちらのビルは、都市景観のなかに表現を埋没させるよう要請される度合いが強い。きわだつ自己表現は、おおむね禁じら
1950年、イラク生まれ。ロンドンを拠点に、流線型デザインを大胆に取り入れて話題を呼んだ。2004年、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を女性として初受賞。2013年に新国立競技場の国際コンペで優勝したが、建築費の高騰などを理由に政府により白紙撤回された。 日本では新国立競技場の事ばかりが注目されたが、建築界にとって、ザハさんはどれほど重要な人物だったのか。 「建築技術の最先端。その象徴」と評価するのは、建築家の片山惠仁さんだ。 「ザハは重力の影響から、建築を解放しました。これまでスケッチでしか描けなかった曲線、曲面が図面になり、実際に建てられるものにした。彼女自身も90年代半ばまで、技術的に達成できず、『アンビルド(建築不可能)の女王』と言われていましたが、航空系のCAD技術を応用して実現しました。自由なデザインでありながら、建築可能にする技術を、他の建築家より何年も早く達成した
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く