「江戸時代の大名の領地・組織・構成員の総称」は一般的に「藩」と呼ばれるが、これを公式に「藩」と呼ぶようになったのは、実は明治時代に入ってからのことである。 大名領の公称は「領分」「領地」「知行所」などであり、「藩士」は通常○○家中とか〇〇家家来、「藩主」は水戸侯など領地名+侯と呼ばれた。 「藩」と言う言葉は元々は中国周代の封建制度下で周王から領地を与えられた諸侯を指す「藩屏」「藩鎮」から取られた言葉で、幕府から領地を与えられた諸侯という意味で、元禄年間以降に一部の儒学者の間で私的に用いられているにすぎなかった。 公式に「藩」と呼ぶようになったのは慶応四年(一八六八)閏四月二十一日に明治新政府が出した政体書である。この政体書で旧幕府の直轄地のうち城代・京都所司代・奉行の支配地を「府」、それ以外を「県」、諸大名の領地を「藩」と呼び府藩県三治制が敷かれた。 このとき、「藩」という儒教色の
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