人形の仮面を被って活動をしている、millnaさん(@mi_te_yo)という名のユニークな女性がいます。なぜ、人間離れしたドールの仮面を被っているのでしょうか。millnaさんはSNSのプロフィールなどで「選べなかった身体 デコって自分にしてこ」などと発言しています。一体これはどのような意味なのかも含め、millnaさんに話をうかがいました。 【画像をすべて見る】⇒画像をタップすると次の画像が見られます
数年前、イーロン・マスク率いるテスラ社がかかえていた電気自動車関連の特許を公開してオープンソース化した。ライバル他社に「この特許技術を使いたければ、どうぞご自由に」と公開してしまったのだ。ジャーナリストや専門家が信じられなくて、いろいろと分析していた。 「あのイーロン・マスクのやることだし信じたらダメだ。絶対テスラに利点があるに違いない。」 「特許がゴミ同然だから公開したのでは?」 「ライバルを出し抜くためにやってるに決まってる」 という感じだった。その後、年数が経ってそうしたテスラだけの利点とか技術的欠陥を見つけた人はいない。結局は「全人類のイノベーションを加速すること」これだけが理由だった。 ちょっとブッ飛んだ発想で理解するには数々のインタビューでイーロン・マスクが語る内容を連続して観ていく必要があった。なのでこの件に関するそれぞれのインタビュー発言を抜粋して意訳した。 インタビューワ
私はVtuberが大好きである。ときのそら、富士葵、もちひよこ、ねこます、芙容セツ子、輝夜月、スズキセシル、つのはねあかぎ…(敬称略) 好きなVtuberの方々は他にも数え切れないほどいるが、私が最も感銘を受けた動画はこれである。 誰もがなりたい自分になれる時代 / バーチャルとファッション【neralの難しくない話】#002 淡々とした語り口でありながら、聴く者の心を激しく高揚させる。天才的イデオローグとしか言いようがない。 詳しくは是非neral氏の動画をご覧頂きたいのだが、私が感動したのは「生まれ持つ体は選べないのに、それを”ありのままの自分”として愛せるべきだって考え方も疑問だなって」「選ぶことのできない生まれ持った体を愛せなくてもそれは悪じゃないはずです」「むしろ、自分の意思が何ら反映されていないものの責任を取らされて、生涯有利になったり不利になったりしていることのほうが理不尽な
学生たちを見ていると、きちんと議論して、きちんと設計して、きちんと何かを作ろうとするみたいです。ときには副作用を考慮して、やっぱり作るのやめようかという話になり、再び議論に戻ることもあります。 ああ、もったいない、もったいない。私は適当な人間なので「なんてマジメなんだ、とりあえず何か作ればいいのに」と思います。デザイン思考ではそのことを「クイック&ダーティプロトタイプ」と呼んだりしますが、それだとなんだかカッコよすぎるので、私は「雑に作れ」と言ってます。 でも、言葉だけでうまく伝わるはずもなく、「どうすれば雑に作れるのか?」と再び議論を始めたりするので、なかなか難しいところです。 それでも「締め切り」というのは効果的なもので、次回までに何かを発表しなければいけないとなると、「議論してばかりじゃ話が進まない!」となり、ある種の覚悟を決めて雑に作ってくれるようになります。 私が印象的だったのは
今年に入って読んだマンガの中で、いや、すべての本の中でも、ピカイチのインパクトを持つ傑作。刊行は20年前の本だが、Amazonを見ると、幸い、まだ手に入る。わたし自身は鎌倉・六地蔵近くの古書店で見かけて、即刻購入した(古本だが美本だった)。著者が千利休に取り組んでいるという話は、昔の短編集のあとがきで読んでいたのだが、本当に出したのかどうか、実は知らなかったのだ。 本書は、『美』に関する本である。「 私が生きた戦国時代は、自分の才覚で、身分という宿命からさえも、自由になれた時代だ。私は私の美意識にしたがうことにした」と、表紙にある。主人公・千利休が冒頭のエピソードで語る言葉だが、本書全体を通したテーマだ。では、彼の美意識とは、そして美とは、いったい何なのか? 恥ずかしながら、わたしは茶の湯については、全く何も知らない。ティー・セレモニーにも、参加したことが無い。日本の伝統文化を何一つ知らず
水木しげるさんといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる日本を代表する漫画家です。 90歳を超えた現在も、なお新作漫画を発表し続けており、近年では、妻・布枝さんの『ゲゲゲの女房』がドラマ�化、映画化されるなど話題に事欠きません。 そんな水木さんが、著書『水木サンの幸福論』のなかで、「何十年にもわたって世界中の幸福な人、不幸な人を観察してきた体験から見つけ出した、幸せになるための知恵」を七か条にまとめています。 幸福の七カ条 第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。 第二条 しないではいられないことをし続けなさい。 第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。 第四条 好きの力を信じる。 第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。 第六条 怠け者になりなさい。 第七条 目に見えない世界を信じる。 『水木サンの幸福論』 ーより引用 それでは、それぞ
幸福三説(こうふくさんせつ)は、明治の文豪、幸田露伴が自著『努力論』で主張したもので、「惜福」「分福」「植福」の三つからなる[1]。 「惜福」とは、自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする、と説かれる。露伴は「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」と述べている[1]。 「分福」とは、幸福を人に分け与えること。自分ひとりの幸福はありえない、周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる、と説
イメージの世界へ行きたい。 ◆ 解説 というわけで、いかがでしたでしょうか。 今回の話をまとめますと、 ・大切なのは「今ここ」 という話となります。 さてアドラー心理学の話、通じて読まれてどのように思われましたか? 自分自身はかなり人生観が変わったというか、いい意味で世界があたたかく、明るくなったような気がしています。 自分なりの感想であったり感動であったり、そういう一つ一つをマンガの中で、あすなやメガネのカレが語っていますので、何か少しでもあなたの気持ちに、残るものがあれば幸いです。 もちろんですが「アドラーはこう言っているが、自分はそれでもこう思う」というのであれば、それはあなたの考えです。それを否定するつもりはありませんし、逆にいえば、それはあなたにとって非常に強い「思考」や「生き方」といえます。 それはそれで、大切にしていただければと思います。 重ねて長くなりましたが、ここまでおつ
日本将棋連盟会長・永世棋聖 米長邦雄●1943年山梨県生まれ。85年永世棋聖。40歳を過ぎたころ、徹底的に自分のやり方を改め、50歳目前で宿敵・中原誠を打ち破り、名人位に。その人格、棋風は「さわやか流」と呼ばれる。 「変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだまだ頑張れる」 これは、羽生善治さんとの対談で私がお話をさせてもらった言葉です。私はそれぐらい必死の心構えで自分を変えてきたつもりです。 私が50歳を間近にして、名人位を獲得できたのは、40歳というすでに若くない段階から「変化」を試みたことへの神様からのご褒美だったと思っています。 人間は「変化」できなくなったらもう終わりです。私自身、「変化できなくなったら引退しよう」と心を決めており、また実際にそうしました。 人は日々成長します。10歳のときよりは
衝撃の7大タイトル全制覇からすでに18年、変わらぬ強さで、棋界の「顔」であり続ける43歳。その天才が「この先、重要視される能力」を磨くべく心がける、一見ありふれた習慣とは──? 「こうすればうまくいかない」と知っている 勉強といっても、私たち棋士にとっては、実戦の中から得るものがやはり大きいですね。新しいアイデアや発想のヒントを実戦から得て、それを日常の練習の中で掘り下げ、全体的な理解を深めていきます。 着手を考える際も、40代半ばの今は、20代、30代の頃とは変わってきました。最初に局面全体の方向性を大ざっぱに、感覚的にとらえて、そこから細かいところをロジックで詰めていくというプロセスじたいは以前とあまり変わりませんが、局面全体をとらえるところに力を傾ける比率が、以前に比べて上がっています。 最初から細かいところにこだわって理詰めで追っていくと、効率が悪い。指し手を読んでいって、この筋は
人生というのは、砂時計のようなものだ。 上部は広く、人生で何をするのかわからない状態。どんなことにも道は開かれている。 そしてゆっくり自分の専門、焦点を決めていって、中央の細い部分を猛スピードで駆け抜ける。 やがて、うまくいけば、自分の専門からより視野を広げて、ゼネラリストとして活躍する。 この比喩は「Hourglass Theory of Life(人生の砂時計理論)」というMediumの記事に紹介されていた。 とくに目新しい考えではないけれど、砂時計に喩えるところがとてもわかりやすいなと思った。 これを読んで、僕が会社員時代に大きく失敗したことのひとつに、「スペシャリスト」から「ゼネラリスト」への転換がうまくいかなかったことがあったなと、苦い気持ちで思い出した。 係長や課長時代が一種の「スペシャリスト」であるとするならば、部長に求められるのはより「ゼネラリスト」的な考え方や行動であり、
若者が結婚できずに少子化が進む理由の筆頭は、どの調査をみても「経済的な理由」です。収入が不安定、子供が出来てもこの収入では育てられない、子供が出来て彼女が仕事をやめたら生活が破綻する。そういった意見が大半でしょう。 年収350万では到底、結婚・子育てはできない――たしかにそうかもしれません。そんな「気分」になるのは、とても良く分かります。 子供一人に費用3000万円?6000万円超のケースも たいがいの子育てサイトをみても「子供一人にかかる費用として3000万」といった数字がでています。たとえば、「子ども応援便りweb版」がAIU保険会社の調査を引用しています。 公立幼稚園、公立中高、国公立大学というコースですら、教育費の合計が1345万円。生活費とあわせて、2985万円とでています。そしてこれが「最低額の見積もり」なのです。 私立理系コース(中学・高校も私立)で3819万円、医学部コース
世の中には沢山の「成功法則」に関する書籍がある。 そこには多くのポジティブワードが散りばめられている。 「常に笑顔」、「楽観的になる」「大きな声で挨拶する」、「ツイていると思い込む」、「苦難をチャンスと思う」、「やりたいことを口に出す」、「自分がワクワクすることだけをやる」、「いい言葉だけを口にする」――。 それらはいかにも成功者を作り出せそうだし、私がお会いした成功者の中にも、こういうことを実践されている方も確かに大勢いた。 けれど、こういうことが出来るのは、元々、自分に自信のある、『成功する素質』を持っている人たちだ。 言い換えれば、元々、勝負強い人、幸運体質・成功体質の人である。 ほっといても、自ら成功をつかみ取ってしまう人、小学校時代の同級生に「あいつならやると思った」と言われるような人たちである。 一方で、普通の人、または、「え?あの人が?」という地味で目立たず、オドオドしている
私は、プログラマとして30年以上仕事をしてきた中で、学んだことがあります。そのいくつかを以下にご紹介します。もっと挙げることもできますよ。 実物を見せないと、顧客の希望は分からない。 このことは最初の仕事で学びました。顧客は、実物を見るまでは、何が本当に必要なのかがよく分かりません。言葉で長々と説明するよりも、機能検証のためのプロトタイプを提示する方が確実に役立ちます。 十分な時間があれば、あらゆるセキュリティは破られる。 現代社会において、セキュリティを保つことは信じられないほどの難題となっています。プログラマは常に完璧を求められますが、ハッカーは1回でもハッキングができれば成功なのです。 セキュリティが破られた場合、事前にその状況に備えた対策を講じているかどうかで結果が変わってくる。 最終的にセキュリティが破られることを想定する場合、その時に起こることに備えて対策を立てておく必要があり
「やるかどうかを迷っている時間があったら、とりあえずスタートしてみてから考えればいい」と語る、小野裕史氏。小さな決断で人生を大きく変えていった人々の事例を紹介し、それらの成功の共通点は「ノータイム決断」にあると主張しました。(IVS 2014 Summer Workshopより) 未来のことを考えてもしょうがない 小野裕史氏:「チャレンジ」って言うと、これが思い浮かぶんですね。「うまくいかなかったらどうしよう」だとか、「失敗したら恥ずかしいな、カッコ悪いんじゃないかな」とかいろいろと思うんですが、これ全部未来のことを言ってますね。 未来っておもしろい言葉で、「未だ来ていない」と書いて「未来」って読むんです。まだ来ていないことを考えてもしょうがないんですけど、人間考えちゃうんですね。頭を使っちゃうんです。 でも思い返すと、みなさんにもまだ小さくて若かりし頃があったと思うんです。赤ちゃんだった
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