インドとパキスタンの両政府は大げさな戦争の言葉を発し続けているが、一九四七年にイギリスの支配者がインド亜大陸の権力をこの地方のブルジョアジーに渡し、宗教に基づいた二つの国家を創設して以後、インドとパキスタンは本物の戦争を三度にわたって闘い、一九九九年にはミニ戦争を行ったということに注意を払うことが重要である。いずれの場合も、メディアが始めた誤報のキャンペーンは、カシミール問題を亜大陸の隣国間の固有の紛争として押し出し、ヒンズーとムスリムの分裂を拡大し、宗教的興奮状態を作りだした。しかし、これはカシミール人民の自決権の問題である。 カシミール人は、彼らの従属が始まったのは、最後のドグラ(ヒンズー)支配者が状況の圧力によってインドへの併合を受け入れた一九四七年ではなく、またドグラ支配者であるジャンムー(インド北部、現在のジャンムー・アンド・カシミール州にある都市)のグラブ・シンがカシミールを七