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  • Toward the Sea : アラン「子供の教育」より

    読書ノート(ほとんど引用からなっています)ソクラテスはすでにこれを指摘しているが、たとえいかにすぐれた人であっても、父親となると、わが子の教育は十分にできないものである。非常に教育のあるおばあさんの実例をみたことがある。彼女は、孫むすめに計算と綴り字を教えることができずじまいであった。この逆説はいら立たせる。なぜかといえば、いつでも両親は先生に熱意がたりないと信じがちだから。それゆえ、わが子を教えようとして、熱意だけで十分でないのをたしかめると、親たちはおどろく。私にいわせれば、それどろこではないのだ。熱意こそかえって妨げになる。 …教育という技能の力は、われわれがそれを求めている場所には絶対にない。そこよりもっと下のほうにあるのだ。礼金をもらっている家庭教師があるとしよう。彼はきちんと時間通りにきて、時間一杯でさっさと帰っていく。…ここに現れているのは、曲げえない、同情を知らない秩序なの

    arkanal2
    arkanal2 2012/10/05
    こうして、授業は必然性の相貌をおびることになる。まさにこれが大事な点だ。というのは、もしちょっとの間だけ先に延ばせるという望みがちらと顔をだすと、もう子供は決して、本気なり注意をこめて神妙にしているは
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