久保明教さんという方が書かれた文章が、あまりにも見事でシビレました。 計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来久保明教 / テクノロジーの人類学 将棋の電王戦(コンピュータとプロ棋士との対戦イベント)について、一戦ごとの戦いの詳細に踏み入りながら、将棋マニア以外にも「そこで起きていること」が理解できるだけでなく、「人間と人工知能との付き合いが生み出す未来」についての考察も読ませる展開で。 ほんと良い文章だと思ったので、ぜひリンク先をお読みください。 いくつも読ませる部分があったんですが、非常になるほどと思ったのは、 「コンピュータには大局観がなく損得計算しかできないが、プロ棋士には読みの数ではコンピュータに負けるかもしれないが“大局観”がある」 という一般人の思い込みは 「間違い」 だってことでした。 そうではなくて、 「コンピュータにはコンピュータな
ある個人的な経験から話を始めたい。半年ほど前、翻訳会社でアメリカ製オンラインゲームを翻訳するアルバイトをしていた私は、数時間後に迫った締切りに冷や汗をかきながら翻訳校正用のソフトを操作していた。 翻訳を仕上げる際かならず使うよう上司に指示されたそのソフトは、私の作った翻訳文に数百個のエラーがあると指摘している。だが、その大半は、数字が正しく訳されていない(Ex.「10」を「十」と訳している)、訳語が統一されていない(Ex.「order」を「注文」と「順番」で訳し分けている)、違う原語に同じ訳語が使われている(Ex.「Objective」と「Objectives」をどちらも「目的」と訳している)といった意味のない指摘なのだ。 文脈に応じて適切な言葉を選び自然な翻訳を作ろうとしてきた私の努力が、文脈を全く考慮しないソフトによって無残に打ち砕かれる。もちろん明らかな翻訳ミスを指摘している箇所もあ
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