中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 ここ最近、指導している学生諸氏が、そろいもそろって、博士論文に挑戦しているせいでしょうか。最近、僕自身も、以前と比べて、博士論文について考える機会が多くなっているような気がします。 夜、自分が帰ろうとしているとき、ふと、研究室を見ると、まだ灯りがともっており、大学院生が論文を書いています。論文を書いている学生が、揃いもそろって、並んで、真剣にコンピュータに向かっている。声をかけようかな、とも思うのですが、「邪魔しちゃ悪いな」と思い、そうしない日もあります。 そんな日々が続くと、彼らが取り組んでいる博士論文って、どんな意味があるのかな、という思いにかられることがあります。 ▼ 「博士論文が何か?」とは、吐いて捨てるほ
最近、何となく考えさせられるような事が同時多発的に起こったので、適当にまとめて書いてみる。 つい先日、「Google+のハングアウト機能で、今年亡くなった実父のアカウントに話しかけたら、もしかしたら父が生き返るんじゃないか、って気がする」という誰かの話題を聞いて、ひとつ思い出したことがあった。 今からちょうど8年前、本誌の前進「ユーゲー」の前編集長で闘病治療中だったEさんが亡くなって間もない頃のある日、社内でメッセンジャーソフトを立ち上げていたら、なんとEさんのアカウントが突然サインインしてきて、とても驚いた。 恐る恐る、思わず「Eさん、生き返ったの?」とメッセを投げてみたら、「Kです。あいつのPCの中身を整理しようとしたら、メッセも立ち上がっちゃった」と返ってきた。どうやら編集部で元「ユーゲー」編集長・Kさんが、Eさんのデスクの遺品整理でEさんのPCを起動したら、メッセも起動してしまった
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