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ブックマーク / call-of-history.com (2)

  • 「〈身売り〉の日本史: 人身売買から年季奉公へ」下重 清 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    中世・近世を中心に日において人身売買がいかにして無くならず生き残り続けたか、を通史として浮き彫りにした文字通り「身売り」の日史の概説。 古代から中世にかけて、人はものとして売り買いの対象だった。鎌倉・室町時代を通して時の政権も例えば無理やり誘拐や騙して売り飛ばしたりといったものは不正とされたが人身売買そのものは禁止されなかったし、戦国時代は文字通り「人取り」という奴隷売買が国内のみならず海外向けにも行われていた。江戸幕府になっても禁止されたのは人商い業と人をかどわかして売る行為であって人身売買そのものは禁止されなかった。ただ、譜代下人から年季奉公へと雇用形態が変化したことによって人身売買の対象は大きく縮小したが、男性の人身売買はほぼ無くなったものの、いわゆる遊女・売女など苦界に沈めるという行為を通しての女性の人身売買は残り続けることになった。 何故江戸時代に女性の身売りは無くならなか

    「〈身売り〉の日本史: 人身売買から年季奉公へ」下重 清 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    asiatics
    asiatics 2018/12/14
  • 人口動態からみた古代ローマ帝国の社会

    古代ローマ帝国を人口から眺めてみよう。あくまで数少ない文献史料と様々な考古学的調査に基づいての暫定的な推定値ではあるが、当時の人口動態とその人口動態を背景とした社会の様子が「古代ローマを知る事典」に概説されている。 まず首都ローマの人口は、イタリア全土を支配下においた紀元前270年頃の時点で約九万人だったが、以後カルタゴを滅ぼし、マケドニアに侵攻し、シリアを制し、ギリシアのアカイア連邦を撃破して地中海の覇権を確立した前130年頃には約三七万五千人に膨れ上がり、血で血を洗う権力闘争の果てにオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が即位、アウグストゥスが崩御した西暦14年の時点で約八〇万人の超巨大都市に成長、最盛期となった五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代の西暦164年にはついに100万人となった。西暦164年のローマ帝国総人口は6130万人で、当時の地球総人口三億人の約二〇%が

    人口動態からみた古代ローマ帝国の社会
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