今回のお題は「人生に恋愛が必要な理由」ですが、「人生に恋愛が必要か?」の議論がなされる前に「必要な理由」が聞かれており、「人生に恋愛が必要ではない人」が抜け落ちています。お題設定の段階で各人のデフォルト値の不一致が浮き彫りになるわけですね。 「全ての男は〜」「全ての女は〜」「人は皆〜」と大きい主語で語られながら、自身の信じる観念がするすると指の間から抜け落ちる疎外感は、しばしば怒りや悲しみに変質します。そのような地雷がそこかしこに埋められている以上、恋愛について公の場で語るのはデメリットのが多いと個人的には感じています。僕自身としては(他の人と同じように)異常な恋愛観を持っていないと信じていても、そうは思えない人がいるのでしょうし、その事について特に納得をしてもらう必要性がないのに説明責任を求められても時間の無駄です。 恋愛という極めて私的な営みの善し悪しを第三者の審級に委ねても仕方があり