発言するというのは、それに対する批判の可能性を引き受けることでもある。あらゆる人が文句なしに賛成する発言なんてのはない。その反発はどこに根があるのか、それをどう説得するか、どこに歩み寄れる点があるのか。それを知って自分の発言や見解を修正する──そこに言論や議論の意味がある。 最近もらった『中央公論』10月号を見て、ぼくは日本の言論が危機的状況にあるという思いを新たにした。 その巻頭特集は「災後の”空気”がおかしい」なるもので、立派な肩書きの先生方が、世論が特定方向に流れてだれもそれに逆らえない雰囲気になっている、言論の弾圧だ、と懸念してらっしゃるんだが……。 そこで出てきた話は、原発関連でツイート発言したら批判がいっぱいついたとか、ブログのコメント欄が炎上したとか。バカかね。 言論弾圧というのは、逮捕されたり発禁になったり、物理的な妨害が出てきてのことだ。反対コメントがつくのは、議論