2009年6月8日のブックマーク (5件)

  • asahi.com(朝日新聞社):郵政問題「最終的には判断せないかんと」 8日の首相 - 政治

    at2002
    at2002 2009/06/08
    どう判断しても、禍根を残す。。放置主義者は、懲りないねぇ・・
  • asahi.com(朝日新聞社):与謝野財務相、社会保障費圧縮に慎重「現場から悲鳴」 - 政治

    「頭の痛い問題。介護、医療の現場からの悲鳴のような声をどうするのか。まだ答えは出ていないが、慎重に進める」。与謝野経済財政担当相は8日、参院の厚生労働、財政金融両委員会の連合審査会での答弁で、小泉内閣で定めた社会保障費の自然増を毎年2200億円抑制する方針を堅持するかどうかについて、そんな苦しい胸の内を吐露した。  この方針は小泉内閣時の「骨太の方針06」で定められた財政再建目標の一つ。だが、09年度予算では年金特別会計などからの流用で帳尻合わせをするなど、すでに有名無実化。今月下旬にまとめる「骨太の方針09」では、この方針をどう扱うかが焦点の一つとなっている。  与謝野氏は消費税以外の税による財源確保について「所得税の最高税率は上げる方向で検討が行われると信じている。自民党も、最高税率を上げようという意見が圧倒的に多いと見ている」とした。

    at2002
    at2002 2009/06/08
    いつまでも小泉の亡霊に取り憑かれていると、寿命が縮まりますよ。。
  • asahi.com(朝日新聞社):巨額赤字でも元次官用「天下りポスト」増設 農林中金 - 政治

    農林中央金庫は、子会社の農林中金総合研究所(総研)に理事長職を設け、農林水産省の元事務次官で総研顧問の小林芳雄氏(59)を充てる人事案を固めた。農林中金は09年3月期に巨額赤字に転落。経営再建中にもかかわらず、農水省からの「天下り」ポストを増やす厚遇で、農水省も批判を受けそうだ。  総研は90年設立のシンクタンクで、現社長は農林中金出身。社長の上に理事長を置いた時期もあるが、現在はポスト自体がなく、定款変更で復活させる。人事案は、早ければ今月の総研の株主総会で決まる見通しだが、ずれ込む可能性も残っている。  農水省にとって農林中金、日中央競馬会、旧農林漁業金融公庫の「御三家」の首脳ポストは大物次官OBの指定席だった。小林氏は08年7月、総研顧問に就任し、元次官の上野博史・前理事長の後任候補とみられてきたが、農林中金は金融危機で09年3月期に5721億円の純損失になり、上野氏は辞任。天下り

    at2002
    at2002 2009/06/08
    うーん、開き直ったか。。。まぁ、政府にけん制する力量が無いので、やりたい放題だわな。。
  • asahi.com(朝日新聞社):旧ソ連などへの諜報活動、出版で明らかに 陸自幹部OB - 社会

    自衛隊で情報活動に従事していた元幹部らが、冷戦時代に行った隠密活動を次々に著書で明らかにしている。5日出版された「自衛隊秘密諜報(ちょうほう)機関―青桐(あおぎり)の戦士と呼ばれて」(講談社)では、旧ソ連や中国を対象にした情報部門の実態や活動を詳しく紹介。知られることがなかった自衛隊の情報活動の内幕が、少しずつ明るみに出始めた。  著者はNPO「日台経済人の会」理事長で元1等陸尉の阿尾(あお)博政さん(78)。台湾在住で、日台湾との経済・文化の交流活動をしている。60年代初めに「陸幕第2部特別勤務班」(当時)に所属、米軍との合同情報機関「ムサシ機関」の要員として極東ロシアの情報収集にあたった。第2部は現在の陸幕運用支援・情報部の前身で、かつて諜報(ちょうほう)活動や電波傍受をしていたとされる。  ムサシ機関は中国や旧ソ連、北朝鮮など国ごとに班編成をとり、旧ソ連班は東京・新宿のアパートの

    at2002
    at2002 2009/06/08
    公になることを是とするべきか、国家の制御が効かないことを否とすべきか。。。。。
  • asahi.com(朝日新聞社):「あいつが…」アキバ教えた同級生自問 無差別殺傷1年 - 社会

    現場付近に手向けられた花束には「安らかにお眠り下さい」などと書かれたメッセージが添えられていた=8日午前、東京都千代田区外神田、遠藤真梨撮影事件現場の交差点で手を合わせる湯浅洋さん=8日午前5時25分、東京都千代田区外神田、上田潤撮影  東京・秋葉原は8日、無差別殺傷事件から1年の朝を迎えた。7人が死亡、10人が重軽傷を負った現場にある交差点には、花束やペットボトル入りのお茶などが並べられ、道行く人が手を合わせた。加藤智大(ともひろ)被告(26)の同級生や事件の被害者らは、あの事件とは何だったのか、考え続けている。  加藤被告の小中学校の同級生の男性(26)=青森市=は、事件の1カ月半後に1人で秋葉原を訪ねたことを思い出す。  「行ったことねえ」という加藤被告を初めて秋葉原に連れて行ったのは自分だった。03年ごろ、モデルガンの店などを紹介して回った。事件はそこで起きた。その現場を、記憶に刻

    at2002
    at2002 2009/06/08
    ・・そんな環境を作った政治や企業の動向にも、いろいろ考えなければならないと、改めて思う・・・