文化や価値観の違いの威力が凄すぎます…! エンタメでしか触れたことがなかったので、地域によって根強く残っている考え方が非常に勉強になりました。割と日本にもありますしね…
![韓国男性との結婚を真剣に検討されている日本人女性に、韓国のいわゆる由緒正しいお家出身の私から事前に確認してほしいと思うこと](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a1d8e084c000556e55744a0cf1c2755b27184d5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.tgstc.com%2Fogp3%2Fb4a67dc5b522c698bd7941f07f6d1e45-1200x630.jpeg)
滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器である「信楽焼」。 日本六古窯の1つとして日本遺産に認定されており、 現代ではとりわけタヌキの置物が広く知られています。 しかしタヌキの置物の歴史は信楽焼の伝統の中では比較的浅く、 明治期に陶芸家の藤原銕造が作ったものが初。 そして1951年(昭和26年)、昭和天皇の信楽町行幸の際、 多くの信楽狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、 小旗を持ったタヌキたちが延々と続く情景に昭和帝が興趣を感じ、 御製を詠んだ逸話が報道され、全国的に知られるようになりました。 日本人にとってはおなじみの置物ですが 多くの外国人からすれば、まずタヌキ自体が未知の生物。 日本に旅行に来たオーストラリア人の女性は、 あまりにも日本のあちらこちらにいる事に困惑し、 その正体を訊ねる投稿をしています。 質問には外国人から様々なコメントが寄せられていました。 その一部をご紹介し
さとうしん @satoshin257 しかしこの時期になるとまたぞろ「恵方巻きは関西の昔からの習慣」とか言い出すのが出てくるんだろうなあと思うとうんざり。当方生まれて以来ずっと関西住まいですが、恵方巻きなるものの存在を知ったのは2000年頃にコンビニやスーパーが売り出すようになってからです。(これも毎年言ってる) 2023-02-02 21:07:27 ちらいむ @chilime 旅と社寺と刀とお茶とご飯と舞台とその他色んな好きなもの(TLほとんど追えてません @ほぼ返せません 巻き込みリプ苦手勢)※この頃は実況以外は青空にいることが多いかもしれません(Miskey、犬スキーやタイッツーなどにもいます) nara-tabikura.jp/4920/ ちらいむ @chilime 奈良、80年代にはすでに恵方巻食べておりました。余談ですが90年代の新井理恵先生の漫画×ーペケーにも恵方巻のことが
ツイ鳥「ジョージ=コクム」(森に入ったのですが怪物もおらず、ツイ鳥だけがいました。赤字貿易経営者! @_596_ ツイ鳥は丸く青く、羽のない巨大な鳥の姿をした鳥です。ツイ鳥は多くの目でずっと遠くまで見渡すことができ、侵入者を捜して森を守っていました。ある日、誰かが尋ねました。『もし夜に怪物が来たらどうしよう?』ツイ鳥「ジョージ=コクム」巷では「毒の鳥」と言われている方いましたがきっと別の鳥です。輸出入業経営者の貿易業者兼ライター。 Joji Cokumu(赤字貿易経営者!倒産したけど今年は黒字化目指す!毒の人ではありません。) @_596_ 知ってなんか話したくなる 小ネタ教えてって言われたので。 そうやな国や騎士団によるけど。 乗馬している騎士や王族の銅像あるやん 騎馬が両足あげていると 「名誉の戦死」 片足上げていると 「不慮の事故・戦地のケガで後日死去」 両足ついていると 「寿命を全
江戸時代後期まで、庶民が墓を営むことは禁止されていた(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート) (SOBANI編集部 添田愛沙) 一般的な「お墓」のイメージといえば、お寺や霊園の一区画に立てられた石の角柱に「○○家先祖代々の墓」と名字が刻まれた「家墓」ではないだろうか。亡くなった人の遺骨を骨壺に入れて一つのお墓に納めていく。そのお墓は代々にわたって子孫が継いでいくものだ。 しかしこの「先祖代々の墓」が今、少子化や非婚、離婚、再婚、事実婚など、多様化し変わり続ける家族のカタチに合わなくなり、限界を迎えている。 一人っ子同士の結婚だが両家の墓を今後どうしたらいいか、親が亡くなったが遺骨を納める場所が決まっていない、お墓を継ぐ人がいない、独身や配偶者と死別した自分は誰にどう弔われるのか・・・。維持や管理、購入や継承、そもそもお墓自体が要るのかどうか。それとも散骨や樹木葬、
Nouly @SEAWEEDinSAKE 夫氏の田舎は古い風習が残っており、葬儀は最たるもの。親族一週間押し寄せてきて毎食食事だして酒飲んで細かい作法ありで葬儀終わると嫁一人死ぬとか冗談で言われるデスマーチ。長男に嫁いだからには、と気合い入れたら「この風習は私の代で全て終わらせる。嫁ちゃんは一切覚えなくていい」と義母。→ 2022-04-05 23:25:32 Nouly @SEAWEEDinSAKE 実際に訪れる親族に丁寧に説明して以後の簡略化に成功。私も不甲斐ない嫁の汚名も着せられる不安も無くなった。夫氏も神なら義母も神。ありがたやー!前世の私、どんな徳積んだんだべさ。 2022-04-05 23:25:32
ここ数年、門松をリアルで見たことがない。 なので、「門松」というものが自分で勝手に想像しただけの、現実には全く存在しない事物に思えてきた。 ネットを調べれば、「門松」に関する情報はいくらでも得られるが、それは自分が「門松」という存在を信じているからそれが実在の証拠になると思っているだけで、他人には例えば空想のキャラクターのプロフィールのような、全く滑稽な妄想なのかもしれないと思うようになった。 (その情報はキャラクター同様、あたかも実在しているかのようにイキイキと描かれてはいるが、読むべきフレームがそもそも異なることだってあり得る(皆は、その情報を全くのホラ話として読んでるのかもしれない)。いくら情報を得たところで、そのフレームを私だけが知らない可能性があり、実は虚構なんだという気持ちが捨てられない。) そんな自ら作り上げた神話を打破するには、実際に「門松」というもの(というか、「門松」が
少々旧聞ではございますが、以下の話題を覚えておいででしょうか。 変形された五円硬貨が、賽銭の中から見つかりました 硬貨を意図的に傷つけるのは犯罪です pic.twitter.com/oN5Cn7vPW0 — 丹波 高山寺 (@Tanba_Kosanji) 2020年11月19日 この五円硬貨が、実は「雨乞銭」と呼ばれる、雨乞いをする際に使われた技法なのではないか、ということで、驚きの声があがっておりました。 そんな話ではあったのですが、疑り深い私としては、現実にそんな風習があったのか、というところが大変気になったため、そこのところを調べてみました。私なりの結論としては、「古くから硬貨に傷をつける風習はあったが、雨乞いと関係するかは不明」なのですが、資料が乏しく、情報がある方がいれば募集中です。 【目次】 「雨乞銭」は古銭界隈で知られていた 民俗学上の「雨乞銭」 「傘」と雨の関係 史料から考
【麒麟がくる】女の立膝の座り方が大炎上!韓国式でおかしいと批判殺到?画像まとめ! 2020年3月15日 ドラマ 「麒麟がくる」で女性陣が立膝の座り方をしていることが炎上しています。 ネット上では立膝の座り方に対して「朝鮮式」「韓国式」でおかしいと批判の声がみられました。 この記事では、麒麟がくるの女性立膝炎上の画像まとめや戦国時代の女性の座り方についてまとめました。 【画像】麒麟がくる 女性陣の立膝が炎上!韓国式でおかしいと批判殺到 帰蝶や信秀の正室が朝鮮座りのような座り方をしているのは何故? これから大河ドラマを見る度に朝鮮座りのような座り方を見せられる? #麒麟がくる#大河ドラマ — まるむ (@marumuGogo) March 15, 2020 NHKの #大河ドラマ は、完全に「韓ドラ化」している! 麒麟がくるで「立膝」は許せない!行儀が悪すぎる! これ完璧に朝鮮じゃないか! 北
素寒貧💸あやのっと @AyanoT1213 北海道の人が「こっちって葬式に焼香台回らないんですね」って言い出して社内がざわついた 焼香台が回るんです???? 2020-01-18 16:40:12
山路という海苔屋のおっさんの仕掛けらしい。詳しくはここにある。 https://core.ac.uk/download/pdf/56643945.pdf ちょっと引用すると、 それでは実際の資料からはどうか。恵方巻は、その由来を鋭明するチラシや新聞記事では「江戸時代の末期から明治にかけて」の時期に誕生したと記述される場合が多い。これは、岩崎がまとめた由来からも分かるが、実際のところ、江戸~明治期にこの行事が存在したとする資料は今のところ見つかっていない。 これらの事実から推論を試みるならば、少なくとも大正期、戦前にはすでに存在し、大阪のごく限られた地域で行われていた風習であること、寿司屋がそれを利用して、古くからの伝統であるという触れ込みで販売促進活動を当時から行っていた、ということはいえるだろう。 その後、太平洋戦争の激化に伴い行われなくなったこの行事は、1949年、大阪府鮨商協同組合に
僕が入学した高校は、この地域では有数の進学校で、100年余りの伝統で知られている…というのが僕が聞いた前評判だった。 ところが、入学した途端に奇妙で恐ろしい風習にさらされ、ひどく困惑している。 入学式の翌日、体育館で全学年がそろった歓迎会のようなものが開かれた。伝統校であるゆえか、歓迎会に限らず、どんな集まりでも校歌を斉唱する。 当然僕は、入学したばかりだから、校歌の歌詞など覚えているはずもなく、なんとか上級生が歌うのについていこうとした。しかし、上級生男子の一部が、無駄に声を張り上げて歌うため、うまくついていくことができなかった。(今思うと、一年生が歌を聞き取れないように、わざとそうしていたのではないかと思う) なぜそこまで声を張り上げるのか腑に落ちないまま、会は終りを迎え、二・三年生は退場し、なぜか一年生だけが体育館に残された。 生徒会役員の自己紹介が終わった直後、閉じていた体育館の扉
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