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ブックマーク / blog.tatsuru.com (10)

  • 平田オリザさんからの台湾速報 - 内田樹の研究室

    佐藤学先生と入れ替わるように台湾の大学で集中講義をされた平田オリザさんから、台湾事情についてたいへん興味深いレポートが寄せられました。 ふうむ、そういうことなのか・・・ 第一報(4月4日) 佐藤先生と入れ替わりで、四月一日から台湾に来ています。国立台北藝術大学で五日間の集中講義(ワークショップ)をしています。 立法院の占拠は、政府が強攻策をとるという噂もあれば、このまま持久戦に持ち込んで学生が疲れるのを待つのではないかという説もあります。今週は台湾の大学は、もともと休みなので(私は、その期間を利用して行う公開講座の講師として呼ばれたのですが)、大学が再開される来週からが山場かもしれません。 私がいまいるのは、芸術系の大学ですので、教授陣も全員が学生側を支持しています。今回は特に、「サービス貿易協定」で言論の自由を実質的に封殺される可能性の高い演劇、映画、出版界などからの支持が強いようです。

  • コミュニケーション能力とは何か? - 内田樹の研究室

    土木学会というところから「コミュニケーション能力について」の寄稿を頼まれた。 9月に書いて送稿したものが活字になって今日届いた。 学会誌なので、一般読者の目に触れる機会はないと思うので、そこに書いたものを採録しておく。 「コミュニケーション能力」とは何か 就活している学生が「これからはもっとも重視されるのはコミュニケーション能力だそうです」と言うので、「うん、そうだね」と頷きながらも、この子は「コミュニケーション能力」ということの意味をどう考えているのかなとちょっと不安になった。 たぶん「自分の意見をはっきり言う」とか「目をきらきらさせて人の話を聞く」とか、そういう事態をぼんやり想像しているのだろうと思う。 もちろん、それで間違っているわけではない。でも、どうしたら「そういうこと」が可能になるかについてはいささか込み入った話になる。 例えば、どれほど「はっきり」発語しても、まったく言葉が人

  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある教育関係の媒体から「いじめ」についての意見を求められた。 かなりたくさん字数を頂いたので、長いものを書いた。 「いじめについて」 学校における「いじめ」とそれに対する対応のありかたについて意見を求められた。 悲観的な話から始めてしまって申し訳ないけれど、「いじめ」に対する即効的な対応策は存在しない。「いじめ」は80年代以降の学校教育を貫通している「教育イデオロギー」の副産物であり、ほとんど「成果」と言ってもよい現象である。 30年かかって作り込んできたものを一朝一夕でどうこうすることはできない。同じくらいの時間をかけて段階的に抑制してゆく気長な覚悟がいるだろう。 私たちが今向き合っている教育現場における「いじめ」現象には「太古的な層」と「ポストモダン的な層」がある。 「太古的な層」は人類と同じだけ古い歴史を持っている。こちらの方は、はっきり言って手の着けようがない。とりあえず「ポストモ

  • セックスワークについて - 内田樹の研究室

    寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。 「話すと長い話になるから」ということでその場はご容赦願ったのであるが、橋下発言をめぐって「セックスワーク」についての原理的な確認をしておきたいと思って、筐底から旧稿を引き出してきた。 2003年に『岩波応用倫理学講義』(金井淑子編、岩波書店)に書いたものである。 そこでは社会学者たちの「売春擁護論」に疑問を呈した。 同じ疑問を私は今回の橋下発言をめぐる賛否のコメントについても感じている。 セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、を閉じてしまう。 困ったものではあるが、私

  • 日本の文脈・アメリカの文脈 - 内田樹の研究室

    ブログ更新をしばらく怠っていた。 この間の政治的できごとを振り返って、現段階における個人的な総括と見通しを書き留めておきたい。 4月23日の参院予算委員会で、安倍首相は「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言し、これが内外に大きな波紋を呼んだ。 これは前日22日に行った「戦前の日による植民地支配と侵略」について謝罪した村山富市首相「談話」(1995年)について「安倍内閣として、村山談話をそのまま継承しているわけではない」(参院予算委)とした答弁を承けたものである。 日中国大陸や朝鮮半島で行ったことは「侵略」であるかどうかは当事国によって解釈が違う。だから、中国韓国は侵略だと言うが、日はそれに同意しないという、村山談話の歴史認識を180度転換する重大な発言であった。 中国韓国がこれに異を唱えるのはいつものことだが、今回例外的だっ

  • 学校教育の終わり - 内田樹の研究室

    大津市でのいじめ自殺、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部のキャプテンの体罰自殺など、一連の事件は日の学校教育システムそのものがいま制度疲労の限界に達していることを示している。 機械が壊れるときは、金属部品もプラスチックもICもすべてが同時に劣化する。それに似ている。学校教育にかかわるすべてが一斉に機能不全に陥っている。 これを特定のパーツを取り替えれば済むと考えている人は「どこが悪いのか?」という「患部」を特定する問いを立てようとする。だが、それは無駄なことだ。日の学校制度はもう局所的な手直しで片付くレベルにはない。 「日の学校制度のどこが悪いのでしょうか」と訊かれるならば、「全部悪い」と答えるほかない。 けれども、学校教育は「全部悪い」からといって、「全部取り替える」ことができない。自動車なら、新車が納車されるまで、バスで通う、電車で通うという代替手段があるが、学校にはない。新し

  • 言語を学ぶことについて - 内田樹の研究室

    2002年に文科省はグローバル化する世界を生き抜くためには英語運用能力が必須であるとして、「英語が使える日人」の育成のための戦略構想を発表した。それから10年経った。日の子どもたちの英語運用能力が上がったという話は誰からも聞いたことがない。 大学サイドから見ると、新入生の英語力は年々劣化を続けていることは手に取るようにわかる。進学にも、就職にも、英語力は絶対に必要であると官民あげてうるさくアナウンスされているにもかかわらずその教育成果は上がらない。なぜか。 英語力の必要が喧しく言われるようになってからむしろ英語学力が低下したという事実は一見背理的であるが、考えれば説明がつく。 教科を習得したときの「報償」が学習開始時点であらかじめ開示されているからである。 報償があらかじめ示されると、学習意欲は損なわれる。考えれば当たり前のことである。 「ここまで到達すれば、こんないいことがある」とい

  • 体罰と処分について - 内田樹の研究室

    大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の男子生徒が顧問の男性教諭の体罰を受けた翌日に自殺した問題で、橋下徹市長は15日に記者会見を開き、「(男子生徒が所属していた)体育科は生徒の受け入れ態勢ができていない」として、今春の体育科とスポーツ健康科学科の入試を止めるべきだと市教委に伝えたことを明らかにした。 入試を変更する権限は市教委にあり、長谷川恵一委員長は「非常に大きな問題であり、今すぐには受け入れがたい」と、21日に改めて判断する考えを示した。 橋下市長は午後4時から約3時間20分にわたり市教育委員と意見交換。その後、長谷川委員長らと共同で記者会見し、再発防止策を発表した。その中で市長は、桜宮高の体育科は「指導において体罰が黙認され、歯止めがかけられない状態」と指摘。「いったん入試は止めてもらって、実態解明をする」「そのまま入試をすれば大阪の恥」として、体育系2学科の入試中止を強く市教委に

  • 就活についてのインタビュー - 内田樹の研究室

    朝日新聞デジタルというところからインタビューを受けた。 お題は「就活」。 「就活なんか、するな。卒業するまでは大学生として大学での活動に全力を尽くし、卒業してから、その先のことは考えなさい」というのが私の年来の主張である。 今していることをおざなりにして「ここではない場所で、あなたではない他の人たちとする仕事」に前のめりになっているような人間をあなたは重用する気になるか。 私はならない。 そんな人間はどこにいっても使い物にならないということを経験的に知っているからである。 でも、同意してくれる人はきわめて少ない。 マスメディア上では「ゼロ」である。 珍しく朝日新聞(ただしWEB版)からこの件でお座敷がかかった。 でも、それは「息子が内田樹の書いたものを読んで『就活をやめる』と言い出したので、ちょっと腹を立てた母親」がインタビュアーという、ちょっと不思議な趣向のものであった。 インタビュアー

  • 幼児化する政治とフェアプレイ精神 - 内田樹の研究室

    できたばかりの石原慎太郎の太陽の党が解党して、橋下徹の日維新の会と合流。太陽の党との合流話を一夜で反古にされた河村たかしの減税日は「減税の看板をはずしたら仲間にいれてやる」と恫喝されて落ち込んでいる。渡辺喜美のみんなの党は維新への離党者が続出しているが生き延びるために維新との選挙協力の方向を探っている。 いわゆる第三極政局は「あの業界」の離合集散劇とよく似ている。 党名を「なんとか組」に替えて、笠原和夫にシナリオを書いてもらったらずいぶん面白い映画ができそうである。 残念なのは、登場人物の中に感情移入できる人物がひとりもいないことである。 状況的には河村たかしと渡辺喜美が『総長賭博』の中井信次(鶴田浩二)や『昭和残侠伝・人斬り唐獅子』における風間重吉(池部良)の役柄に近い「引き裂かれ」状態にある。甘言を弄しあるいは恫喝を加えて縄張りを奪おうとする新興勢力に抗して、なんとか平和裏に組を守

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