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2008年9月14日のブックマーク (2件)

  • 読み手に配慮したふりがな - 頭ん中

    たまたま立ち寄ったトイレにあった 案内書きがおもしろかった。 おもしろかったといっても ふざけたことが書かれているわけではない。 文面自体ははごく普通。 トイレ内の電灯は、自動感知式になっています。 約5分程度で自動消灯します。万一ご使用中に消えましたら 手を振る等、体を動かしていただくと再点灯します。 では何がおもしろいかというと、 この文についていたふりがな。 画質がよくないけど、 写真でみた方が早いかな。 ふりがながこのようにふられている。 電灯 → あかり 自動感知式になっています → ひとりでについたり、きえたりします 手を振る → てをふる 再点灯します → またつきます 読み手に配慮した見事なふりがなだと思った。 ここでふりがなをふる目的は 漢字の読み方を教えてあげることではなく 漢字が読めない人でも 案内書きの意味がわかるようにすること。 そもそも「自動感知式」が読めない人

    読み手に配慮したふりがな - 頭ん中
  • ベンヤミンの「注釈」 - tukinoha’s blog

    注釈は、価値評価とはいささかちがう。価値評価は、いやがうえにも慎重に明暗を光と影に分けていくものだが、注釈はそれとちがって、対象とするテキストを古典とみなすところから、したがっていわばひとつの偏見から出発するものであり、また、テキストの美しさとポジティヴな内容とだけを問題とするものである。 ヴァルター・ベンヤミン『プレヒトの詩への注釈』より 「批評」でも「評論」でも「感想」でも言い表せなかった部分を埋めてくれて非常に良い気分です。もっとも、ハンス=ゲオルク・ガダマーという哲学者も似たようなことを言ってて、例えば『源氏物語』を読むとき、光源氏のだらしなさが不愉快だといって怒りだすような人はいませんよね?古典を読む上で僕たちのネガティブな偏見は自然と相対化され、作品から積極的な意義を取り出そうとする態度がとられます。そういった態度の表現を、ベンヤミンは「注釈」と呼んだのでしょう。 個人的には「

    ベンヤミンの「注釈」 - tukinoha’s blog
    auma
    auma 2008/09/14
    「批評」でも「評論」でも「感想」でも言い表せなかった部分