悪質な二流人間が生まれる理由 「二流大学」という言い方をすると、多くの人は、入試偏差値とか国家試験の合格率等で、「一流大学」よりも格が明らかに落ちるが、底辺ではない、という意味に取るだろう。私が、自分が務める金沢大学が「二流」であると言う時、それとは別の意味“も”込めている。それほど頭が良くない、つまり学問をするための基本的訓練ができておらず、未熟な思考しかできないくせに、そのことを素直に認められない学生が多い、という意味である。教師に言われる前に、自分で学ぶという積極的姿勢も、自分がバカであることを認める謙虚さもないのが、「二流」の学生である。 当然、東大などの「一流大学」にも、そうしたどうしようもなく「二流」の学生は一定の割合で存在するが、本当の「一流大学」であれば、天才的に頭のいいことがはっきり分かる学生、勉強が根っから好きな学生が周りにいるので、あまり堂々と「バカな自分」を肯定し