トマス・モアの『ユートピア』に始まったディストピア文学には文明批判という根本的な次元がある。オーウェルの『1984』と並び称されるオルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』は、苛烈なユーモアを込めたまさしく文明批判の書だ。「九年戦争」という最終戦争の後、「世界国家」が成立した。フォーディズムの全体主義国家で、自動車王フォードが神のように崇(あが)められている。1908年(T型フォードが発売され
テレビ番組「ハーバード白熱教室」で知られる哲学者、マイケル・サンデル米ハーバード大教授の新刊邦訳「実力も運のうち 能力主義は正義か?」(鬼澤忍訳、早川書房)が14日、刊行される。人は出自によらず、努力と才能次第で成功できるという考え方が暴走し、エリートに傲慢を、その他大勢に屈辱と怒りを生んでいると指摘する。社会を分断しかねない状況にどう向き合うか、著者に聞いた。――執筆のきっかけは。「トラン
(佐々木 俊尚:作家・ジャーナリスト) 最近、個人的にどうしても気になり、ややもすると許せないと思う風潮がある。太平洋戦争で戦闘以外で死んだ兵士に対して、一部の人たちが「犬死に」「無駄死に」という言葉を使うことだ。 歴史学者、吉田裕氏の著書『日本軍兵士─アジア・太平洋戦争の現実』(中央公論新社)によると、アジア・太平洋戦争における約300万人の戦没者のうち100万人以上が実は餓死だったという。戦争に行きながら戦闘ではなく飢餓や病気で死んだことは確かに無駄な死だったのかもしれない。しかし、戦地で死んでいった人をなんのためらいもなく「無駄死に」と言い放つ感覚には違和感を禁じ得ない。 戦争で死ぬということを、現代の我々はあまりにも他人事のように、適当に語ってはいないだろうか。彼らは何に殉じて、なぜ死なななければならなかったのか。戦争で死んだ人々に対して我々はどう向き合うべきなのか。終戦から75年
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く