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ブックマーク / www.mizu.gr.jp (1)

  • 投げかけ - 実施報告 龍と亀 日本の治水術と中国の治水史:里川文化塾│ミツカン 水の文化センター

    中華世界において、いかに黄河の占める意味合いが大きいかを物語る言葉に治黄(ちこう)があります。治黄すなわち黄河の治水に奔走した潘季馴(はん きじゅん)と陳★(ちん こう)、■輔(きん ぽ)の治水術を紹介しています。 蜂屋邦夫さんの投げかけ1 明清の治黄問題 治黄(ちこう)という言葉は、黄河の治水を指す言葉です。こういう用語が、中国にはちゃんとあるんですね。黄河は、とにかく暴れ川で、河道が何度も変わっています。だいたいは、下流は北東のほうに流れるのが普通の道筋でしたが、東南のほうに流れて淮河(わいが)と合流してしまった時期もあります。 明代と清代は、だいたい黄河の下流は南に流れ淮河に合流するという道筋でした。1397年(明の洪武30)から1431年(宣徳6)には10回も氾濫を起こし、1565年(嘉靖44)には、とうとう堤防が決壊してしまいました。島谷先生がお話された明代は、黄河の歴史でいうと

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