年末なので引き続き振り返りモードで....。2006年当時の自分のエントリーを読み返していて、今のセカイカメラに繋がる様なことを書いていたので、記憶の整理も兼ねて(多少、修正・編集して)採録しておきます。 日本のゲームに於ける“狭さの美学”といっても良いセンスはARの今後を考える上で役立つ側面なのかもしれないと思います。つまり実用性よりも、もっと感覚的な驚きとか発見の楽しさの部分にフォーカスする方向性ですね。 __ ■現実はすでにソーシャルブックマーク空間だ。 都市は(いや、田舎でさえ)、膨大なソーシャルブックマークの洪水なのだ。 マンホール、標識、ポスト、電柱、住所表記、コンビニ、消火栓、水道、ガス管、空調、ゴミ収集場所、学校、役所、公園、道路・・・・ たとえば、標識には公安委員会の管理番号が付番してあるし、ポストにしても地域ごとの番号がある。地下溝も公園施設も、それぞれがお互い絡み合い