「底冷え」と形容される京都の冬の気象に異変が起きている。京都の冬の寒さは古くから文学作品でたびたび取り上げられてきたが、この100年間で最低気温が0度を下回る「冬日」数は減少傾向にある。原因は都市化と温暖化。人にとっては過ごしやすくなったと思える半面、京の伝統野菜や生態系への影響を懸念する声も聞こえる。 京都盆地は周囲を山で囲まれ、冬は冷気が逃げにくい地形となっている。気象庁は底冷えという用語を使っていないが、広辞苑は「身体のしんそこまで冷えること。そういう感じの寒さ」と定義している。 清少納言は、冬の早朝を春の明け方、夏の夜、秋の夕暮れと並んで好んだ。冬の早朝に人々が暖を取るため火を急いで起こして炭を持ち運ぶ光景が「いかにも冬らしい」と枕草子に残している。明治の文豪、夏目漱石は1907年3月28日の日記に「京都ノfirst impression(第一印象) 寒イ」と書き込んだ。 気象庁の