わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
先週も絡んだばかりだけれども簡単に。 「町の本屋」の生き残りと大型書店増加傾向への疑問 - かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版) 「町の本屋」ってそんなに必要とされてるのかねえ。どこで買おうと値段は一緒だし、個々のパッケージの中身も一緒でしょ。売ってるのが野菜とかだったら「あっちのトマトよりこっちのが色ツヤが良い」ってこともあるけど、「あっちのコンビニよりこっちの本屋のがグラビアの発色が良い」なんて話はないよね。書店同士が勝負できるところって、立地と品揃えとサービス内容くらいじゃないの? だとすると、中小・零細書店でそんな気の利いたサービスをするにも限界があるし、品揃えだって、生き残りに必死な小さいところほど、コンビニ同様売れ筋に力を入れざるを得ないわけで。既存店が今さら立地を変えることは実質不可能なんだから、規模が同程度の書店同士が差別化できるところって、そんなにない気が
ネタ元:http://book.asahi.com/clip/TKY200708170254.html 日本書店商業組合連合会が昨年5月にまとめた書店の「経営実態調査報告書」によると、新刊書籍が「ほとんど入らない」店が50%、ベストセラーとなると55%近くにのぼった。 これは「町の本屋」には痛すぎる状況だよなあ・・・。 ちなみにネタ元では定義がないが、出版流通関係の授業の定義を引用すると「床面積300坪以下」が中小書店に該当。 そのうち市街地ではなく郊外に存在し、駐車場等を要する中型書店(「郊外型書店」)を除いたものがここでいう「町の本屋」にあたると思われる。 ネタ元でも言及されているが、これら「町の本屋」をめぐる状況はかなり深刻。 ただでさえ出版流通業界自体が不振なうえに、「町の本屋」の売上の大きな部分を占めてた雑誌やコミックについてコンビニエンスストアに客を食われ。 消費者の行動が「商
と思う。特にここ最近(の話はよく読んでないんだけどね、実際)。 アンサイクロペディアによる定義、つまり、仮面を表わす言葉であるならばはまあわかるんだけど、そうじゃない場合、その人において何をもって充実しているかわからないのにそういう言葉を使うということ*1は相手を自分の価値観により相対化したいということなんだろう。 「充実している」。予定が埋まっているだけのことを充実しているとは言わない。精神を満たす場所が必ずしもリアルである必要があるかというと、そんなことはないから、リアル+充実という言葉そのものに何か実効性能があるのかどうかもわからない。 ついでに言うと、非コミュも非モテもわからない。非が排除を意味しているのか不能を意味しているのか解脱を意味しているのか逃亡を意味しているのかがわからない。 ある特徴をもった属性を一つの概念にまとめてしまうことは言葉を使用する側からするとわかりやすくてよ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く