2007年9月18日のブックマーク (5件)

  • 名古屋の喫茶店「コメダ珈琲」がついに東京に! :: デイリーポータルZ

    全国2億人の名古屋ファンの皆さまこんにちは! さて、名古屋名物の料理と言えば何を思い出すだろう メジャーなところでは『ひつまぶし』、『ういろう』、『味噌煮込みうどん』、『きしめん』あたりだろうか。『世界の山ちゃんの手羽先』、『スガキヤのラーメン』あたりも最近は全国的に有名だ さて、そんな名古屋グルメにどうしても一品付け足したいものがある。それは名古屋の喫茶店、コメダ珈琲のシロノワール(写真右)だ。これは当にうまい。コメダ珈琲は名古屋に行けばどこにでもあるチェーンの喫茶店なのでぜひべて欲しい そんなコメダがついに、東京23区内に初の店舗を設けた。それはもう、べに行かなくてはならないだろう。さあ、甘味の旅についといで! (text by 梅田カズヒコ) 箱根の山を越え、多摩川をついに渡ったコメダ いつになくちょっと興奮気味の筆者だが、まずはこのサイトを見てほしい。関東地区のコメダ珈琲の店

    azumy
    azumy 2007/09/18
    これにブクマしてないなんてなんたる失態だ自分。「おかげ庵」では、コメダにはない抹茶ソフトのシロノワールが食べられますよ。これはいける。
  • 雑記。 - ちゃずけのはてなにっき

    秋からしばらく休む、と以前書いたんだけど「諸事情」がなくなったんでまあだらだら書こうかな、と。 ドロシーなんとかの皇太子様がお好きだとかの詩について、「嫌いだー!」と叫んだ方について。 「そういうあなたが好きだー!」と僻地から。 まあ、正直に言えば、あの「詩」を好きだ、とか言いたがる連中を私は嫌いなわけで。 ほんでまあ、身も蓋もなく言っちゃえば、あの「詩」がすき、なんて言ってるような連中の子供ってのは どう考えてもろくでもない奴に育ってるってワケで、確かに環境って大事かも、と思うんだなあ。 「ほめて育てるメソッド」ってヤツが私の上の子が生まれたときは主流で、全然子供をしかれない親が かなり多かった。これはいくら何でもしからんといかんでしょう、ってばあいでも 「しかったらトラウマになる」みたいないいわけを私はたくさん聞かされて、 もうどうしようもなくうんざりした。 一回や二回、親がしかったく

    雑記。 - ちゃずけのはてなにっき
    azumy
    azumy 2007/09/18
    あとでもう一度読む。
  • ちょっと迷ったけど、書いとこっと。 - リツエアクベバ

    もともとは子供に愛情を与えましょうというつもりだったと言うことは知っている。これから親になる人に向けての言葉だと言うことは知っている。だけどその言葉を使って人は他人を傷つけるのだ。その言葉を知り、それを実践した親は、自分の正しさを証明するためにそうでない子供をわざと可視化するのだ。そして誰も批判ばかりされた子供を、殴られて大きくなる子供を、笑いものにされた子供を、皮肉にさらされた子供をたすけない。手は差し伸べない。もしその子がまっすぐに育ったら自分の正しさが証明されないから。 これを書いた人を責めるわけではないけれども/Say::So? えっとね、娘が小学校のまだ低学年だったときに、娘を毎朝学校まで送っていっていたわけで。でもってコレ。 口を出したケース、女の子の集団が、1人の目の前でにやにやと、その子だけがわからない合図を送る、仲間で送り合う。陰湿だなあと思う。この集団がわたしを「友達

    ちょっと迷ったけど、書いとこっと。 - リツエアクベバ
    azumy
    azumy 2007/09/18
    現実って重い。
  • 鈍い人の憂鬱(追記あり)。 - traffickerの日記

    (誤字やリンク、読みづらかったところをいくつか訂正しました) Say::So? - これを書いた人を責めるわけではないけれども なんだろう、私は例の詩をDPZのコラムで最初に読んだ時、「とてもいい」と思った。 # 2007年09月13日 trafficker DPZ, 教育, 文化 イタリアの教科書の踊るボクサーがキュート。スペインの教科書の絵が好み。/「子ども」の詩がとてもいい。 はてなブックマーク - @niftyデイリーポータルZ: 世界15カ国。教科書の挿絵を比較する ライターで遊んでた高校生を酔った警官が平手打ちした事件があった時に、高校生に注がれた目線が大変残酷なものだと感じてたし、「バカは叩かなきゃわからない」的な言動がものすごくイヤでしかたなかったから、例の詩を目にした時「そうだそうだ!」と強く頷いたし、実のところid:b_say_soさんのエントリを読んでぐらぐら揺さぶ

    鈍い人の憂鬱(追記あり)。 - traffickerの日記
    azumy
    azumy 2007/09/18
    言葉少ない詩とは鏡のようなもので、読んだ人がそこに映るものなのだと思う。どれが正しい、ではなく、それぞれの感じ方解釈があるものだと。この視点もまた非常に納得いくものだった。
  • 家庭内における暴力 - リツエアクベバ

    DVでもモラハラでも児童虐待でも、家庭内で日常的に行われれば、そのことに対しての被害的感覚まで麻痺していくもので。しかしその時点で麻痺していても、被害は蓄積していき出口を求めていく。その出口の作り方が生産的に作れればそれはそれで個人の内で解決につながっていくのだけれど、そこに失敗した時には被害は被害者人が気づいていなかったほど、大きな事実となっていることがある。 暴力を行う人間と被害者、こうした対関係に加えて二次被害を生み出す第三者、というものの存在も大きい。その二次被害を生み出す第三者というものが少なければ、もっと被害者救済は進むのではないかとも思う。 二次被害というものは、被害を被害と認めない、つまり被害者自身の感じる被害を認めず、被害者人の問題である、と位置づけていくもの。被害者に対してさらなる「耐性」を求めていくものでもあり、難しいものだと思う。 まあ、しかし、日常的に暴力を行

    家庭内における暴力 - リツエアクベバ