「気持ちはわかる」と言う言葉の後には大体「けれども」と続く。つまり、気持ちはわかる「のに」否定をしなければならないときに止むを得ず使う言葉。少なくとも僕はそう思っているのだけれども。 じゃあ何でわかるのに否定するのか。それは、その感情なりその論理なりはある文脈では適用できるし、その場合どうしてそういいたいか、と言うのがわかる、ということであって、また、今の文脈ではそれは適用不能であるから、そのベースの考え方そのものを否定しているのではなく、むしろ肯定したい気持ちがどこかにあるのだけれど、それでもなお、今ここでそう言われることを首肯することは出来ない、と言うことなんだろう。 もちろん、その肯定しうる文脈において、必ずしも僕の想定しているものと相手の想定しているものが同じとは限らない。同じでなくても適用できるかも知れないから。そういう意味では、「わかっていない」のかも知れないし、誤解しているの
前回、「食育」推進本に多い「キレる子ども」話を書きましたが、あわせて多いのが「モンスターペアレント」話です。給食費未払いとの件とからめて、マスコミでも論者やコメンテーターが口にする便利な言葉になりつつありますね。さっき「たけしの教育白書」でも言ってましたね。 例えば・・・西日本新聞の「食育」ブックレット「食卓の向こう側」によればこう書いてます。 ------------- 昨秋、タレントの永六輔さんのラジオ番組で、一通の手紙が物議を醸したことを知った。寄せられた手紙の内容は、ある小学校の出来事、母親の一人が学校に「給食時間に『いただきます』と言わせないでほしい。給食費はちゃんと払っているのだから」と申し入れたというのだ。番組に対する反応の多くはこれに否定的だったが、中には肯定する意見もあったという。 ------------- 服部先生の本ではもっとすごい。 ------------- 小
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