ブックマーク / mubou.seesaa.net (5)

  • 不倒城 : 結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

    大事なのは、関心量の調節、だと思う。というか、当にそれだけだと思う。 最近幾つか、「結婚が上手くいかなかった人」の視点で書かれたお話を読んだ。この視点が注目を集めていることを見ていると、結婚に全然不満を持っていない人の視点も一応書いておいた方がいい様な気がしてきた。 なので書く。 例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。 決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きない違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。 関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。 AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。 全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが

    azumy
    azumy 2008/04/27
    『あなたの隣で過ごしている人に、興味を持ち続けてください。結構面白いですよ、その生き物。』同感。だが相手が好きだからこそ興味を持ち続ける、というのもまた事実。嫌いになってしまったら、致し方ないかも。
  • 「個人的な問題でも一般化したい病」について: 不倒城

    症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞

    azumy
    azumy 2007/10/16
    全く一般化しないといわゆる「私語り」に終始するのでそれを嫌う書き手もいそう。結局はおっしゃる通り有効な一般化と無理な一般化のバランスなのだろうが、このバランスの判断が意外と難しい。
  • 最近2DのRPGが希少化している幾つかの理由。: 不倒城

    どうも、「作らない」ではなく「今更2Dに戻せない」事情が色々あるらしいのだな。 私の仕事とは直接関係ないのだが。大学時代の友人が某ゲームメーカーに勤めていて、4年振りくらいに連絡をとったついでに聞いた話。他のメーカーさんでも当てはまるのか、という保証は残念ながらない。そんなケースもあるのか、という程度で。 1.グラフィック部分は、非常に工数(開発に要する労力)がかかる割にある程度作業工程を切り離すことが可能。その為、まとめてオフショア(海外発注)に出されるケースが結構ある(これは、開発チームの事情ではなくてどちらかというと経営側の事情らしい) 2.海外の協業さんには、そもそも2Dのグラフィックを描く技術を持っている人が少ない(オフショア開発が一般的になってきた時期、既に3Dゲーが主流になっていたことが一因らしい) 3.海外の協業さんとの連携が非常にやりにくい。細かい指示が届かず、仕様書の読

  • 私のどこが好き?議論を他の話に置換して分析してみる。: 不倒城

    なんか面白そうな話ではあるんだけど。 「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足なのか? 多分これは、恋愛とゆー非常に曖昧模糊かつ自己位かつ相互依存的な分野の話だから議論が紛糾するんだ。うん、きっとそうだ。 よし、試しに少年漫画のアンケート的なものに当てはめてみようぜ。 富樫「私の漫画のどこが好き?」 読者「休載しない君が好き」 富樫「ごめん無理」 読者「あぼーん」 あれ?ダメだった。おかしいな。 じゃあこれならどうだ。 板垣「私の漫画のどこが好き?」 読者「無理のある筋肉描写が好き」 板垣「キャオラッ!!」 読者「あぼーん」 あ、なんかちょっと近くなった気もするな。三行目は照れだきっと。いわゆるツンデレってヤツだ。違うかな。私はツンデレに対して何か根的な認識違いをしてる様な気がする。 レトロゲームブログっぽく、レトロゲーム分野でも考えてみよう。 任天堂「私のゲームのどこが好き

    azumy
    azumy 2007/04/04
    そう思う。別に女性は相手が自分のどこが好きかを言葉どおりに知りたいわけではない。
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

    azumy
    azumy 2007/03/27
    近い考えだ。自分は怒るというか「それは違う」的な感情が起こらないと途端に文章書くモチベーションが下がる。
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