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2015年7月6日のブックマーク (4件)

  • これ胡散臭すぎてクリックしないヤツ! コペルニクスの地動説をバナー風にした画像が話題に

    TM @TM_KG 冗談めかしているが、意外にこの説が出された当時、教会の教えを割と真面目に信じてた人にとって地動説唱える人間がどう見えていたか判るような気がする。 ……コメでも言われてたが、アブない自己啓発セミナーにしか見えないw twitter.com/numrock/status… 2015-07-04 06:11:58

    これ胡散臭すぎてクリックしないヤツ! コペルニクスの地動説をバナー風にした画像が話題に
    b4takashi
    b4takashi 2015/07/06
    赤文字に蛍光ペン風背景色で途端に胡散臭くなるのは何故なのか
  • 父親の危篤時に安部首相がゲームボーイしてた!? → 検証不足でした

    chakura (ᐞ•༝•ᐞ18)◞ @chakura0411 安倍晋太郎が危篤の時に、安倍晋三はゲームボーイをしていた!父が死の瀬戸際でゲーム…私には理解できない。だから、今の安倍晋三を理解できないわけだわ…そんな冷たいニンゲンがこの国の首相…驚き!録画拝見中。 ( #オプエド live at ustre.am/19dcI) 2015-07-01 18:47:23 Flora @flora_kz 上杉隆ニューズオプエドから政治ジャーナリスト・藤順一氏 「この写真は、父晋太郎が生死をさまよっている、正にその時、ゲームに興じていた安倍晋三。だから安倍晋三が命の大切さを訴えても、私は信用できない」pic.twitter.com/2B3hTETutp #安保法制 #戦争法案 #安倍晋三 2015-07-02 20:42:04

    父親の危篤時に安部首相がゲームボーイしてた!? → 検証不足でした
    b4takashi
    b4takashi 2015/07/06
    そもそも危篤の時の写真かわからんし、ゲームボーイじゃなさそうだし、危篤であっても何もすることなければ平静を保つために本読んだりゲームしたりする。批判するところが全く見当違い。
  • 障害者は生まれてくるべきではない

    自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。 自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。 自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。 社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。 社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。 障害者は生まれてくるべきではない。 補足2: 「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無

    障害者は生まれてくるべきではない
    b4takashi
    b4takashi 2015/07/06
    「生まれてくる」ってどの時点で判断するのだろう。母体から生まれ落ちて臍の緒を切ったとき?精子と卵子が出会って着床したとき?
  • ダメ金ならぬダメレンズの収差で映し出す「響け!ユーフォニアム」と京アニの空間描写が尋常じゃない : さざなみ壊変

    「響け!ユーフォニアム」のもじゃ主人公・久美子が好きすぎて何回も見直してたら、京都アニメーションの撮影処理が尋常じゃないことに気がついたので「響け!ユーフォニアム」を例にレンズ収差の解説も含めて紹介。 周辺光量落ち SLR Magic 35mm F1.7で撮影。 ボケのある写真を撮る時や設計に余裕がないレンズで発生する、写真の四隅が暗くなってしまう周辺光量落ち(周辺減光)と言われる現象。 例えば、「響け!ユーフォニアム」第1話の中学時代の演奏の回想ではこの周辺光量落ちが出ている。 周辺画質の流れ SLR Magic 35mm F1.7で撮影。 中央はピントが合っているが四隅にいくにつれて解像力が下がって"流れ"てしまっている(ついでに前述の周辺光量落ちも発生)。普通のレンズは、レンズからの距離がピントを合わせたところと同じであれば平面的に均一に写しとるが、このレンズは中央にピントを合わせる

    ダメ金ならぬダメレンズの収差で映し出す「響け!ユーフォニアム」と京アニの空間描写が尋常じゃない : さざなみ壊変
    b4takashi
    b4takashi 2015/07/06
    楽団って、同じ舞台に立っていて同じ目標があるはずなのに、心理的距離は案外と離れているもの。それをよく表す表現だと思う