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ブックマーク / toled.hatenablog.com (3)

  • 「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)

    逃げ方、避け方、守り方 (id:reponさん) いじめに耐える必要なんか無い。 学校なんか行かなくていい。 嫌な集団に取り入る必要はない。 そんな集団に属さなくても、その子が生きられる集団はいくらでもある。 それが、今のその子には見えていないだけなんだ。 http://d.hatena.ne.jp/repon/20080407#p1 逃げ上手は生き上手 (小飼弾さん) まずは逃げろ。追っ手の手の届かぬところまで。 そして自分を変えろ。強くたくましく。 順番を違えてはならない。つらい現実にいても、それに耐えているだけで自分を変える余裕はなくなる。そうしているうちに、逃げる余力さえなくなってしまう。 かっこ悪くてもいい。卑怯者でもいい。 まずは、逃げろ。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51031057.html けれども問題は、逃げた先に

    「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)
    babayuhei
    babayuhei 2008/04/10
    「いじめられている君」は、私と同じ全体に属している。問題は、彼らにありがたい知恵を授けることではない。これは私の問題だ。私がいかに全体と関わるかということだ。私が学校制度を破壊するために何をするのか
  • 選択の幻想から反学校の政治へ 第三回 学校制社会と反学校 - (元)登校拒否系

    今回は、「世界システム論」の基を紹介した上で、個体をバラバラに見るのではなく、その関係に注目する方法を不登校と学校の問題に適用することを試みます。誤解していただきたくないのは、何も経済体制が学校のあり方を最終的に規定している、などということを主張しようとしているわけではない、ということです。「世界システム」論に触れるのは、あくまでも一種の「たとえ話」としてです。社会的な関係を重視する発想から登校拒否を考えるためのヒントを得たいのです。そのような発想は、社会学やサヨク思想に広く見られるものです。ここで「世界システム論」を取り上げるのは、たまたまそれが比較的わかりやすい具体例であるからにすぎません。 「世界システム論」と反学校 旧来の社会科学においては、「国民国家」が基的な分析単位となっていました。そして全ての国家は一定の発達段階を通過して「発達」する、とされていました。その際にはイギリス

    選択の幻想から反学校の政治へ 第三回 学校制社会と反学校 - (元)登校拒否系
    babayuhei
    babayuhei 2008/04/10
    ぼくたちの希望は、この谷に簡単だが頑丈な橋をかけて、お互いの行き来を自由なものとすることにある。;「学歴社会」という名の壁は、過去の老廃物として谷底に崩れ落ちていく運命にある
  • 選択の幻想から反学校の政治へ 第一回 無人島主義 - (元)登校拒否系

    学校から家へ泣きながら逃げ帰ったことがあります。当時10歳だった僕がどんなことを考えていたのか、今となっては正確に思い出すことはできません。ただ、一つ確信をもって言えるのは、学校から逃げ出した当時の僕にとって、学校が世界の全てだったということです。学校の外には何もないかのように思えました。だから、自習時間中の教室を抜け出して校門を出た時には、生きる場所を失ったような気がしました。それからずいぶんと経ち、登校拒否・不登校に関する多くの言説に触れてみてわかったのは、学校から逃げ出した当時の僕の見方は、学校に行かないことを認めない人の多くによって共有されているものだということです。 かつて登校拒否・不登校は、学校に行かない人やその家族の個人的な病理であるとされていました。たとえば、1988年に出版されたの中で稲村博さんは、「登校拒否というのはその多くが独特の病理を含む一種の社会不適応状態とい

    選択の幻想から反学校の政治へ 第一回 無人島主義 - (元)登校拒否系
    babayuhei
    babayuhei 2008/04/10
    結局、社会から逃げ出すことなどありえないのです。:問われるべきは、学校に行かない子どもやひきこもりを社会にどう「復帰」させるかではなく、彼らがいま現に生きているこの社会をどう変えるかということ
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