僕は就任当初から岡田サンに対して批判し続けてきた。終始一貫ダメ出しを繰り返してきたが、それはあくまでも、代表監督としてのサッカーゲームの進め方についての異議だった。 加茂サン、1回目の岡田サン、トルシエ、ジーコ、オシムに対しても同様。あくまでもサッカーサイドの話であって、人格そのものまで否定した覚えはなかった。 原稿の中で、敢えて岡田監督ではなく「岡田サン」と表現してきた理由も、人間的にはラブリーな人に違いないとの思いがあったからだ。 実際、僕が知るそれまでの岡田サンはそうだったわけだが、「あれは冗談だった」と言われると、さすがに分別をつけていられなくなる。プチッと切れたくなる。 この人いったいどうなっちゃったんだ? と、その人間性、精神性に言及せざるを得なくなる。入りたくない領域に、好むと好まざるとに関わらず、入らざるを得なくなる。残念とはこのことだ。 しかも「岡田監督」は、その時、薄笑
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