1991年、村上がプリンストン大学に客員研究員として招聘された際、滞在1年目に1部と2部が執筆された。その後、加筆と推敲をあわせて、第3部までが出版されるまでに4年半の歳月が費やされている[1]。村上の小説としては初めて、戦争等の巨大な暴力を本格的に扱っている。村上は第3部刊行直後の1995年11月、心理学者の河合隼雄に向かって「『ねじまき鳥クロニクル』を書くときにふとイメージがあったのは、やはり漱石の『門』の夫婦ですね」と述べている[2]。 表紙の絵は新潮社装幀室の髙橋千裕がバリ島の古い美術館で見つけたものである[3]。I Dewa Ketut Rungunが描いた「Burung babgau terbang」。 2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて227万部が発行されている。 評価[編集] 1996年2月に第47回読売文学賞を受賞した。1999年、英訳版『The Wind-Up