左が中国史上最も多い11人の君主に仕えた男・馮道(ふうどう)、真ん中は11人目の君主、後周の世宗(柴栄)、右が帝位に即いてすぐ馮道を指名抜擢した後唐の明宗(めいそう) 忠臣は二君に仕えず――中国の「史記」に出てくる言葉で、「忠誠心のある臣下は、いったん主君を定めたのちは、他の人に仕えることはない」という意味である。 【画像】虐殺を重ねた者、権力に執着した者――「闇落ち」した12人の中国の偉人たち しかし、その中国には「二君」どころか「十一君」に仕えた変節漢がいる。その名は馮道(ふうどう)。唐の末期、西暦882年に生まれ、「五代十国」と呼ばれる乱世の時代に、11人の君主のあいだを渡り歩いた、悪名高い文官・宰相である。 中国史の第一人者・岡本隆司さんの新刊『悪党たちの中華帝国』では、この馮道の生涯をくわしくたどり直し、なぜ彼がこれほど多くの君主に重用されたのか、その巧みな処世術を解き明かすとと