●『ヴィレッジ』(M・ナイト・シャマラン)をDVDで。例えば、画面から赤という色を徹底的に排除することで、画面への不意の赤の侵入を不吉なものの「しるし」とする。これは決して自然なことではなく人為的な操作で、しかもその手口はかなり見え透いている。しかし、そのしくみを分かっていたとしても、画面のなかに赤が侵入すると、それを観る観客はドキッとする。作者によって意識的に操作されたものだと分かっていても、そこになにかしらの「しるし」を読み取らざるを得ない。シャマランの映画はまさにそのようなものとしてある。 世界はまさに薄っぺらである。この、いつの時代か分からないファンタジー的な舞台は、長い歴史によって支えられたものでも、無時間的な永続のなかにあるものでもない。年長者たちの世代によって設立されたフィクションが、その子供たちの世代によって生きられているに過ぎない。あたかも、長い時間ずっとつづいて村の秩序