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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (57)

  • 私が中高生のネット依存をヤバいと思う理由 - シロクマの屑籠

    ネット依存の中高生、国内に51万人 厚労省推計 :日経済新聞 厚労省の研究から「中高生のネット依存者が推計52万人」という数字が出た。私はインターネットは学齢期からやっても構わない、むしろやるべきだと思っていたクチなので、この数字には衝撃を受けた。 文部科学省『学校基調査』(H24年)によれば、現代の中高生の総数は約690万人ぐらいなので、10人に1人弱、30人ちょっとのクラスで3人がネット依存に陥っている勘定になる。「クラスで大体3人がネット依存」と書き直してみると、さほど違和感のない数字のような気もしなくもない。が、頻度としては高すぎる。 参考までにアルコール依存症と比較してみると、2004年時点の厚労省の推計によれば*1、アルコール依存症は80万人、依存症疑いを含めて520万人程度と推計される。日の飲酒人口は推計6000〜7000万人らしいので、「疑い」も含めるなら飲酒人口のう

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    bayan 2013/08/04
  • 国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠

    インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - ボンダイ リンク先は、全国の地方インターネット愛好家を敵に回しそうな文章でした。なに?「田舎の若者はみんなガラケー開いてケータイ小説読んでいる」ですって? いったい何年前の地方ですか。引用文献が全体的に古いところをみると、地方の情報インフラ事情をよく知らない人が、文献だけを頼りにまとめた文章のようにも読めます。そりゃ東京に比べて、ガジェットの流行が一段階遅れてはいますよ。でも、地方でもiPhoneは「ライバル達に差のつくデジタルガジェット」じゃなくなっているし、若い人はfacebookやtwitterをバンバン使っています。 リンク先の筆者は、「湘南育ち」のシティボーイのようです。向日葵が太陽の方角ばかり向いているように、定めし、東京だけを見つめ続けた思春期を過ごしてこられたのでしょう。そして地方のヤマダ電機やイオンには、あまり足を運んでい

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    bayan 2013/06/29
  • 「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠

    先日の記事の補足として。 今、思春期の後半と言われている20代後半〜35歳ぐらいの年齢には、思春期という言葉と表裏一体だったはずの、モラトリアム*1という言葉があまり似合わない、と思う。それぐらいの年齢になっても進路や生き筋を自由選択できる幸運とタフネスを持った人もいないことはないが、あくまで幸運だったりタフだったりする比較的少数の人達である。大半の人達においては、三十路を迎えた頃というのは、色々な事がかなりのところまで決まっている or 決まりつつある最終段階に相当する。決まりつつある、という意味ではぎりぎりモラトリアムとも言えなくもないが、夏休みに喩えるなら、八月三十日や八月三十一日を夏休みと呼ぶのと同じようなものではある。 実際には、三十路を迎えた大半の人は、自分の人生のかなりの部分を既に選んでしまっている。まだ会社は変えられるし、恋愛経験のある人なら結婚相手を選べる可能性もある。し

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    bayan 2012/12/31
  • ガンダムよりジムを選んだ精神医学 (例え話) - シロクマの屑籠

    http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/558 上記の、統計についての文章を読むうちに、ふと、ガンダムになぞらえた精神医学の歴史の話を連想してしまった。 (あくまで例え話です) 昔の精神医学、特に精神分析系の精神医療は、ガンダムやジオングや指揮官用ゲルググに喩えたくなるような、精巧な治療理論を丹精込めて造りあげてきた。フロイト、エリクソン、ウィニコットなどといったエースが登場して優れた成果を示し、自分達の治療理論をカスタマイズしていた。偉大なエース達が死んだ後も、弟子から弟子へ「お前ら、アムロやシャアを見習え!」とばかりに、エースのなんたるかを一子相伝するのが慣わしだった。 けれども、ガンダムや指揮官用ゲルググなんて、よっぽど素養に恵まれた人でなければ乗りこなせないし、精神科医の誰もがニュータイプ精神科医になれるわけでもない。ニュータイプ精神科医に

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    bayan 2012/10/20
  • ショーウィンドー越しに「手の届かない自由」を眺める - シロクマの屑籠

    現代社会は個人の自由が尊重された社会、といわれている。実際その通りかもしれない。昭和時代に比べれば、私達はイエの事情や地域のしがらみに縛られることなく、自由に職を選択し、自由に住まいを選択できる。結婚相手も自由だし、そもそも結婚しない自由というものもある。そういえば、「恋愛するのが若者として当然」という、一時期の、あの陶しいほどの空気も大分希薄になった。結構なことだと思う。 こうした自由な社会のなかで、水を得た魚のように活躍している人達がいる。仕事を選び、住居を選び、パートナーや友人を選び、どこまでも伸びていく人達。あるいは困難なトライアルに挑みかかっていく人達。『ニートの歩き方』を書いたphaさんのように、ちょっと風変わりな生き方に自由を用いる人達もいる。これまた結構なことだと思う。 では、こうした自由は、私の、あなたの手のうちにどの程度あるだろうか。 “素晴らしき自由人達”から自分自

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    bayan 2012/10/20
  • “承認欲求の流動食”に依存する人々 - シロクマの屑籠

    医療や介護の世界では、栄養補給の手段として流動がよく用いられる。普通の事が摂れない人も何もべなければ飢えて衰弱してしまうから、そういう人にとって、流動は命綱になる。べる機能が回復不可能な場合は、いつまでも流動を使い続けなければならないかもしれない。 メンタルヘルスの世界でも、あたかも似たようなことが起りがちだ。“承認欲求の流動”“自己愛の流動”で心の飢えをしのいでいる人をあちこちで見かける。それどころか、すっかり依存してしまって、並みの心理的充足が難しくなってしまっている人もいるようだ。 人間は、心理的に充たされる体験無しでは心が飢える 人間のメンタルは、心理的に充たされたと感じられない状態が続くと衰弱してしまいやすい。ストレスを回避するのも大切だが、そこそこの頻度で心理的に充たされたと体験できなくてもキツくなる。もし、心理的に充たされたと感じない状態が長引くと、ストレスや

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    bayan 2012/10/20
  • 私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠

    今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と

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    bayan 2012/10/20
  • 孤独感がデフォルトになった時代 - シロクマの屑籠

    第三者からみて孤独そうに見える人が必ず精神的に打たれ弱いかと言うと、そうでもありません。少数ながら、孤独に対する耐性が異様に高い人が存在しますし、第三者からは目に見えにくい繋がりをどこかに持っている人も珍しくありませんから。しかし、人自身が孤独に悩んでいるような人――つまり孤独感に苛まれている人―――は、必ずといってよいほど精神的に打たれ弱いように見受けられます。 独りぼっちは辛いんですよ。 「自分は独りではない」と感じている人が新しいことに挑戦するのと、孤独感に苛まれている人が新しいことに挑戦するのでは、体感されるストレスが何倍も違ってくるのではないでしょうか。世の人間の大半は、どうやら孤独には弱いようにみえます。「自分は独りぼっちではない」という感覚無しには生きていけないというか。[誰かが自分のことを見てくれている感覚][誰かが自分と一緒にいてくれる感覚]を持っている時なら簡単に我慢

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    bayan 2012/10/11
  • 素人が増えただけで仕事を失うプロなんて、淘汰されるしかあるまい - シロクマの屑籠

    ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな

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    bayan 2012/09/11
  • "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠

    ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し

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    bayan 2012/07/07
  • 「過熱したタイムライン」の怖さ――原発に言及して気づいたこと - シロクマの屑籠

    私はtwitterというツールの厄介さや恐ろしさについて、昨年の震災や幾つかの炎上案件を通してそれなり気をつけているつもりでした。でも、まだまだ甘かったというか、twitterの心の闇(棒読み)について、理解が足りなかったと思い知りました。 気付いたきっかけは、以下のツイートです。 今国内にいる人の殆どは、「死んでも何でも原発を動かすのはNG派」と「段々原発を減らしていきたいけどしばらくは動かさざるを得ない派」のどちらかで、「未来の電力は原子力だ!」とテカテカしてる人なんて、凄いレアっぽい。 2012-07-03 09:32:34 via web いままで私は、原発についてtwitterで発言するのを避けていました。あまりにもたくさんの人が原発に問題意識を持ち、そのなかには最も穏健な人から最も過激な人まで混じっていることを思うにつけても、デリケートな話題にちがいないだろう、と気をつけていた

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    bayan 2012/07/05
  • 足枷になっているのは“バカ親”なのか?“階層”なのか? - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209 リンク先は、とても難しい問題に触れている文章だった。 学問や読書に無頓着な親のもとで育ったために、伸びしろのありそうな子どもの思考範囲が狭く限界づけられてしまっている、というケースは結構あると思う。私も、それに近いような人を、福祉分野で見たことがある。ああ、この人がしかるべき教育を受けて、あわよくば医師になっていたらさぞかし切れ者になっていただろうな、と思うような。 例えば看護助手をやっている人のなかに、非常に要領の良い、段取りも記憶力も優れた人が混じっていることがある。しかし、そういう人も体系だった知識や学問のインストールを欠いているし、週刊誌やTVを批判的に眺める力も無い。パソコンに例えるなら『素晴らしいCPUとグラフィックボードと潤沢なメモリを積んでいる。けれどもHDDには

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    bayan 2012/06/29
  • なぜネットは「けしからん」「矛盾した」年配者の巣窟にみえるのか - シロクマの屑籠

    インターネットを眺めていると、異なる世代が発信する色んな意見を目にする。そのなかには「けしからん」といいたくなるようなものも珍しくない。しかも、同じ世代が矛盾したことを言っているように見える場合がある。 例えば、いつだったか『NHK特報首都圏』が若者のインスタントセックスについて放送していたとき、twitter上では、若者の性の乱れを心配する年配者のツイートを見かけた。と同時に「年配者は、若者の草化や性離れを危惧していたんじゃないのか」という若い人の非難めいた反論も見かけた。きっとこの若い人は、ほかの年配者が非婚化・非恋愛化を嘆いているのを見かけていたから、反対っぽいことを言っている年配者を目にして「お前らは矛盾してるぞ」と憤ったのだろう。 この件に限らず、ネットを巡回していると、自分自身の価値観と照らし合わせて「けしからん」といいたくなる文章を見かけるだけでなく、同じ世代から発信される

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    bayan 2012/06/29
  • 難関大学合格者は、本当に一日十時間勉強しているか――ガリ勉という名の神話  - シロクマの屑籠

    最近、通勤電車で地元の進学校の2年生とおぼしき男子グループに遭遇することが多く、そのグループの会話をよく耳にする。会話から聞こえる模試の成績から察するに、彼らは「ゆくゆくは東大京大か医学部狙い」といった学生らしい。いわゆる、“できる”高校生なのだろう。 けれども会話の内容の大半は、週末に池袋に行くだの、ニコニコ動画で何を見ただの、誰と誰が付き合っているだの、そんな感じ。なかなかにお洒落で会話も闊達な様子を見るにつけても、いわゆる「ガリ勉」というイメージには程遠い。どう考えても、彼らはスクールライフを満喫している。 そんな彼らを見ていて、ふと思った。そういえば、世間で言う「ガリ勉」って一体何処にいるんだろう。そもそも、難関大学に入るにはガリ勉しなければならないのか? もう十数年昔、私が地方の高校にいた頃を思い出しても、東大や京大に行ったクラスメートは大抵遊んでいた。もしかしたら影では勉強して

    難関大学合格者は、本当に一日十時間勉強しているか――ガリ勉という名の神話  - シロクマの屑籠
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    bayan 2012/06/29
  • 大半のお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」と思っているのに…… - シロクマの屑籠

    404 Blog Not Found:備忘録 - そもそもなぜ老は敬われてきたのか 「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力: やまもといちろうBLOG(ブログ) 最近、真面目そうな顔写真が入ってイメージチェンジした『やまもといちろうblog』と、アルファブロガーの小飼弾さんの『404 Blog Not Found』に、リンク先のようなディスカッションが出てきました。twitter等でたくさんの意見が寄せられているのを観るにつけても、そろそろ時代の潮目なのかな、と思わずにはいられません。昨今の高齢化・少子化を巡る情勢や時代の閉塞感を思うにつけても、「お年寄りどころじゃない。それより子育てを。未来を。」的な意識が高まってくるのは当然といえば当然でしょう。 もちろん私も、そういった話題に強い関心を持っていますし、そういう目線でメディアを眺めています。また、こうした社会全体の【お年寄り/子育

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    bayan 2012/06/29
  • 勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠

    いまの日人は、とても便利な世の中を生きている。 コンビニもインターネットもあるし、自分の人生もだいたい自由に選択できる。医療も治安もハイレベル。昔の人が見たら、さぞ羨ましがるだろう。 そのかわり、賢くないと――あるいは勉強しないと――何もできない時代になってしまった。 事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。賢くない人・勉強もしない人ほど、自由選択の範囲は狭くなり、日常生活のリスクも回避しづらくなる*1。だから冒頭の文章は、正確には「いまの

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    bayan 2011/11/01
  • 「おひとりさま」というトレンドの終わり - シロクマの屑籠

    夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術 作者: 花輪陽子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/06/16メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 394回この商品を含むブログ (23件) を見る 上記のを読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。 そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。 ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社

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    bayan 2011/01/05