「スーダラ節」(スーダラぶし)は日本の昭和期の代表的な流行歌である。ハナ肇とクレージーキャッツ、とりわけ植木等が爆発的な人気を得るきっかけを作った曲で、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶による。レコードは1961年8月20日、東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)から発売された。累計売上は80万枚[1]。 それまでのレコード制作はレコード会社主導だったが、このレコードの原盤は渡辺プロダクションが制作し、東芝音楽工業は販売のみ担当した。芸能プロが初めてマスターテープを制作したレコードでもある。「今で言うインディーズである」(戸井十月)[2]。 元々は「こりゃシャクだった」のB面を埋めるために作られた曲であったが、こちらのほうがヒットしてしまい、後にA面とB面が入れ替えられている[3]。シングル盤のジャケット写真には、当時病気療養中であった石橋エータロー以外の6人が写っている。この