OPINION 負け戦の正しい負け方-- 関ヶ原・薩摩大守島津義弘の賭け、そして現代の民主党 / 記事一覧 島津義弘像(Wikipediaより) 10万人の敵に1000人が挑んだ戦い 私は古今東西の歴史・戦史研究が趣味だ。機会あれば古城や古戦場を訪ねる。iPadのおかげで、地図検索や資料収集が歩きながら容易になり、散歩が楽しくなった。 1600年(慶長5年)に戦闘が行われた関ヶ原も2回訪ねた。多くの物語がこの戦場にあるが、特に私は薩摩の大名の島津義弘(1535-1619)に関心がある。 彼は戦闘が決着した後で1000名の兵(一説には300人)で、10数万の徳川家康率いる東軍に向け、正面への退却戦を敢行。残存兵60人(一説による)と生き残り、国に帰還した。そして勝者の家康と外交を重ね、所領の薩摩・大隅・日向南部(現在の鹿児島県と宮崎県南部)を維持した。関ヶ原の敗者で、所領がそのままだ