もうすっごい夢中でうまそうに食ってて飼い主が顔をどんだけ近づけて全く気にせずものすごい至近距離で猫が飯食ってるのをじろじろ観察してる。 ぺろぺろ皿を舐めて食い終わったら特に不満げでも満足げでもなく飼い主の座布団の上に戻ってまたうとうとする。 かわいすぎるだろ
小2の男児。 塾の宿題やっていて、解けない問題が出てきたので爆発。 教えるから一緒に考えよう、って言ったら、やんねえよ!!!馬鹿!みたいことを言ってきたのでヒートアップ。 じゃあやんなくて良いよ、パパは知らんよ。と言ったら、激昂して子供が私の喉に正拳突きで思い切りグーパンチしてきた。(首を狙ってきたのは鬼滅の刃の影響だと思う。) (この宿題を終わらせたらゲームをやることになって子供は楽しみにしていた。) それで頭に平手一発。 子供は混乱してどこかに行ってしまって、しばらくしたのちに戻ってきて、多少の口論の後に結局は宿題を一緒にやった。 初めて子供に暴力を振るってしまった。 苦しい。どうすればよかったんだろう。
東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で、津波から街を守るため、土を盛って地盤を高くする「かさ上げ」を行った地区の人口は、震災前より44%減ったことが読売新聞の調査でわかった。事業が長期化するなどし、ほかの地区に移転する住民が相次いだためだ。再生された宅地の34%は活用されず、空き地となったままだ。 3県でかさ上げを行った市町村を取材し、15市町村の33地区について集計した。商業地だけをかさ上げした地区や、人口が不明な地区は除いた。震災前に計4万3061人だった人口は、2万4193人に減少していた。かさ上げした宅地の面積は422ヘクタール、うち144ヘクタールが未活用だった。
2016年、「シン・ゴジラ」を観たときにふと思ったことがあった。 庵野秀明は、もうエヴァンゲリオンを創れないんじゃないか、と。 「シン・ゴジラ」は絆の物語だった。震災(ゴジラ)という巨大な脅威に人々が立ち向かう物語。省庁の垣根を超え、官民の垣根を超え、現場と会議室との垣根を超え、国と国との垣根を超え、人々は連帯し、協力し、共闘する。 人と人との間にある見えない壁を、A.T.フィールドを超えて、人と人とが繋がり脅威に立ち向かう物語。それが「シン・ゴジラ」だった。 そしてそれは、素晴らしい物語だったとも思う。筆者も劇場で何回か観て、その後もBDディスクを購入し何十回と観ている。特に陳腐化しつつあったゴジラという怪獣を、震災という記憶に新しいイメージに乗せて蘇らせたところは鮮烈としか言いようがない。1954年の人々が初代「ゴジラ」に感じた衝撃と近いものを「シン・ゴジラ」を観た我々は感じることがで
『鬼滅の刃』を読んでいて個人的に一番気になるのは、女性の扱いでも、残虐性そのものでもなく、仲間内の平手打ち(ビンタ)とか鉄拳制裁の類の多用。(作者の出身という意味で)九州にはああいう習慣があるの?小学校の頃、親には殴られたことないのに特定の教員に何度もビンタを張らたので気になる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く