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  • 古代マヤの生贄のDNAを分析、定説覆す驚きの結果が明らかに

    マヤ文明の古代都市チチェンイツァの大ピラミッド「エル・カスティージョ」。生贄を埋葬した貯水槽チュルトゥンと聖なるセノーテは、ともにこの近くにある。(PHOTOGRAPH BY CRISTINA MITTERMEIER, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 1967年、古代マヤで最も栄えた都市の1つチチェンイツァの貯水槽「チュルトゥン」とそこにつながる洞窟で、考古学者たちが多数の人骨を発見した。このチュルトゥンは8世紀にわたって若い成人や子どもの生贄の埋葬に使われ、遺体のほとんどが若い女性とされてきた。マヤ文明は儀式の生贄に女性を捧げることを好んだと考えられていたからだ。(参考記事:「チュルトゥンの図解も、知ってるようで知らないマヤ文明」) しかし、2024年6月12日付けで学術誌「ネイチャー」に発表された論文が定説を覆した。回収された64体の遺骨のDNAを分析したところ、す

    古代マヤの生贄のDNAを分析、定説覆す驚きの結果が明らかに
  • ギザの大ピラミッド、4500年前の「建造日誌」が残っていた

    紅海のエジプト沿岸に、ワディ・エル・ジャラフという4000年以上前の古代遺跡がある。遠く海の向こうにシナイ半島を望むこの遺跡で2013年、歴史的発見がなされた。石灰岩で作られた坑道のなかで、世界最古のパピルス文書が30巻見つかったのだ。 古さもさることながら、注目すべきは書かれている内容だ。この「紅海文書」と呼ばれるものは、その昔にぎやかな港として栄えたワディ・エル・ジャラフについて明らかにしているだけでなく、クフ王の大ピラミッド建造に直接関わっていたメレルという人物の日誌も含んでいた。(参考記事:「“永遠”のギザの三大ピラミッドはどう建てた? 謎の空間も発見」) ワディ・エル・ジャラフの遺跡が最初に発見されたのは1823年。発見者の英国人旅行家で古物収集家のジョン・ガードナー・ウィルキンソンは、これをギリシャ・ローマ時代のネクロポリス(共同墓地)だと考えた。その後1950年代に、考古学好

    ギザの大ピラミッド、4500年前の「建造日誌」が残っていた
  • まだ生きているような欧州のミイラ、続々と判明する暴力と死の謎

    デンマークのシルケボー近くの泥炭地で発見されたトーロンマンの穏やかな死に顔の裏には、約2000年前の暴力的な死因が隠されている。同じ泥炭地の中で保存されていた革紐は、彼が絞殺されてから湿地に投げ込まれたことを示唆している。(ROBERT CLARK/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) 1640年にドイツのホルシュタイン地方で初めて発見されて以来、まるで生きているかのようなヨーロッパの「湿地遺体」は人々を魅了し続けてきた。アイルランド、英国、ドイツ、オランダ、ポーランド、スカンジナビア、バルト三国から、これまでに約2000体を超える湿地遺体が発見されている。だが、2023年1月10日付けで考古学の学術誌「Antiquity」に発表された画期的な論文は、この数字は控えめで、実際の数ははるかに多いかもしれないと推定している。 湿地遺体は私たちに、遠い過去と

    まだ生きているような欧州のミイラ、続々と判明する暴力と死の謎
  • 米国の新型コロナ死者数、ベトナム戦争を上回る

    米国での新型コロナによる死者数がベトナム戦争での死者数を上回った。そのほか、過去の戦争での死者数と比較してみると、新型コロナの恐ろしさが見えてくる。

    米国の新型コロナ死者数、ベトナム戦争を上回る
  • 第6回 自閉スペクトラム症を「愛着」の問題で済ませてはいけない

    日常的にそこにある自閉スペクトラム症について伺うところから始まって、そのスペクトラムたる所以の頻度分布について教えてもらった。さらに、サブクリニカル、診断閾下という、人口の10パーセントくらいはいそうな集団についても早期の把握と対策が大切だという話にも至った。それぞれを知ること自体が社会的な改善の第一歩につながることで、うまく伝わればよいと願う。 最後の話題として、これまでのすべてのお話の中に通底し、折に触れて何度も繰り返された大きな問題を再度取り上げたい。話は、神尾さんのキャリア初期、京都時代にさかのぼる。 「1990年代ですが、京都の児童福祉センターという行政のクリニックにいたときに、自閉症児が通う施設を巡回して訪ねました。そこで、抱っこ療法なんていうのを当に一生懸命やっているのを見て、『何だこれは』って思ったのを今でも思い出します。そのときに先輩の先生と一緒に、70年代からイギリス

    第6回 自閉スペクトラム症を「愛着」の問題で済ませてはいけない
  • スマホがあると退屈で集中力低下、海外の研究事例

    サンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学の前で待ち合わせをする学生たち。(PHOTOGRAPH BY JANET DELANEY) 少し前のこと、私のスマートフォンに、いつものようにインドのコルカタに住む父親からスカイプの着信が入った。79歳の父は、近頃ではあまり外出をせず、ほとんど家の中で過ごしている。この日、私は列車でデンマークからスウェーデンに向かう途中だった。父と通話をしながら、私はカメラを車窓の外に向けていた。ほんのひととき、私たちは一緒に旅をしているような気分を味わった。 さまざまな面において、私はスマホの存在をありがたく思っている。しかしその同じデバイスが今、私の生活を常に阻害し、恐ろしいほど頻繁にこちらの意識に入り込み、家族や友人との直接的なふれあいを減少させつつある。父親に会いにコルカタに行ったとき、私は気がつくと会話の最中にしょっちゅうスマホに手を伸ばしてフェイス

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  • 第3回 覚せい剤の乱用文化は日本起源だった

    さんが所属する国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所は、研究所とはいえ、病院も併設しており、松さんは臨床の仕事をしつつ、治療プログラムの開発と普及を行う立場だ。 治療対象は、もちろん、流行り廃りはありつつも、覚せい剤依存が一番大きなものだという。お話を伺った2017年2月末の時点では、7割方が覚せい剤とのことだった。 ここまで乱用される覚せい剤には、どんな背景があるのだろうか。 「実は、覚せい剤、つまりアッパー系の元気が出るいけない薬物は、ほとんど日独自の乱用文化だったんです。1800年代の終わりに東京帝国大学の薬学部の教授が、喘息の薬として開発したものですし、戦前ではうつ病の治療なんかにも使われていました。第二次世界大戦中には、軍需工場で夜通し働かせたり、神風特攻隊の人たちがそれをキメて突っ込んでいったり、軍需品として使われました。戦争が終わってその軍需品が放出される中で、

    第3回 覚せい剤の乱用文化は日本起源だった
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