「226事件がなんで反日なんだよ?」って思ったけどさ、ちょっとぐぐったらどうも最近のネトウヨの人にとっては皇道派の青年将校って「あいつらはコミンテルンに操られた左翼。お上に逆らう反日テロリスト」って位置づけらしいんだよね。もう野村秋介先生が聞いたら何を思うことやら
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「226事件がなんで反日なんだよ?」って思ったけどさ、ちょっとぐぐったらどうも最近のネトウヨの人にとっては皇道派の青年将校って「あいつらはコミンテルンに操られた左翼。お上に逆らう反日テロリスト」って位置づけらしいんだよね。もう野村秋介先生が聞いたら何を思うことやら
日本における近代保守主義は、思想伝統としても政治的伝統としても、安定した実体を形成しなかった。〈中略〉近代日本の国家理性の中には、保守の原理を容れるようなゆとりがなかった。それはもっぱら権力原理にもとづく反動の機能をいとなむ場合にのみ、公認の役割を認められるという形になった。保守はある意味での権力原理に対する反対物であり、権力の発動形態としての反動とは本来結びつかない。しかし近代日本が明治開国にさいして選びとったものは強力国家という権力原理であり、保守と反動の区別は社会的実体と結びついて理解されるような条件がなかった。(橋川文三「保守主義と転向」『共同研究 転向 5』東洋文庫、平凡社、2013年、413頁 *初版は1959年) 2000年代に入ってから急速に日本で意味が軽くなった言葉のひとつに「保守」というものがある。 政治学で保守主義といえば、政治制度が制度疲労して変更せねばならない場合
いま求められているのは、リベラルの再構築だ。 2014.02.02 先日もTwitterで書いたのだが、いまの日本は、「専業主婦が家庭で育児するのが日本の伝統的家族観」というような現実の歴史と反する勝手な史観を振り回すオレオレ保守と、反テクノロジー・反経済成長を言い募る懐古主義的な和式リベラルという極端な二つの党派が前景化しているという、非常な奇妙な状況になってしまっている。 わたしはこの両極端ではなく、その間にいる多くの中間領域の人たちが重要だと考えているし、この人たちこそが次世代の日本を背負う社会的中心層になるのは間違いないとも思っている。より具体的に言えば、経済成長を是とし、そのためのテクノロジーの進化も受容し、そのうえで分配政策を構築しなおして機会平等をこれからも実現していこうというような政治思想だ。政府に何でも頼るのではなく、自分たちであらたなコミュニティのあり方を模索し、若者を
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