ご利用者様各位 2020年1月31日 株式会社リクルートマーケティングパートナーズ 『ケイコとマナブ.net』サービス終了のお知らせ いつも『ケイコとマナブ.net』をご利用いただき有難うございました。 『ケイコとマナブ.net』は、2020年1月31日(金)をもちまして、サービスを終了させていただきました。 通信制大学に関する情報は、引き続き『スタディサプリ社会人大学・大学院』にて提供しておりますので、ご利用ください。 >>スタディサプリ社会人大学・大学院を利用する
4/1付けで Web アプリケーションエンジニアとして株式会社はてなに入社しました。どうやら Scala を書くようです。 同日に優秀な同期がたくさん入っていて、彼らからいい刺激を受けながら成長し、素早く足手まといを脱して戦力になれるように頑張っていきたいと思います。 ここ数日はいっぱいいっぱいでいろいろ出来ていないのですが、出来るだけ早く日常を取り戻したいです。 自分がユーザーであること 前職ではソーシャルゲームの開発運用をしていましたが、最後まで自分でゲームをすることはなく、この乖離に非常に苦しんでいました。遊んでもらっているお客様にも失礼な状態が続いていたし、自分も胸をはって業務に取り組めなかった。なので、次は必ず「自分がユーザーであること」を軸にして、これをぶれさせないように働きたいと思っていました。 チーム開発 前職ではチームリーダーをしている期間が長くかったのですが、あまりうま
これ @mizchi がIncrementsにJoinしました - Qiita Blog 特に転職したとは一言も報告してなかったけど、先月末でQuipperを退職し、二週間ほどのモンハン廃人を経て、先週からQiitaを運用しているIncrementsで働いている。 自分が使ってるサービスのドッグフーディングが出来て、将来性があって、大きすぎずに自分の手が届く範囲にやり甲斐があり、JavaScriptエンジニアとして自分にとっての技術的課題がたくさんありそうなIncrementsに行くことにした。 一週間ぐらい働いて、やっと慣れてきて、デプロイももう何度かやったし、Githubのstatsみると一週間で25000行ぐらい書き換えてユーザーの手元に届いてるっぽいんだけど、これは最初に取り組んだのが外部アセットを連結して圧縮したりこねくり回したりしたりするという作業で、作業量以上に行数に出ている
何の技能も持たない31歳契約社員女。 現在の収入手取り12万。 どうしたら収入を増やせるでしょうか。
思い返す プロのプログラマーになったとき 2008年6月、26歳の時に動画の企業に入ることになって、 プロのプログラマーになった。 独学でやってたにしろ、仕事でとにかく使えない人材だった。 やばかったなあ。 転職したとき とあるベンチャー企業の人に、「来ないか?」と言われた。 2012年の時か。その時、このままだとダメかもしれないと思ったので転職した さらに転職 その企業を色々な理由で辞めることになった。2013年か。 転職活動をして、2013年の6月に転職を決めた。 さらにさらに転職 1年ほど経って、担当してるプロダクトが落ち着いてきたので 2014年に転職活動を始めた。どこでもいいとか思ってはなくて、 今いるところでエンジニア募集してるんだ、って知るまで 転職したい!という強い思いはなかったけど。 転職での経過 最初 コードを書ける人間はかっこいい 何もできない自分は無力 周りがすべて
本日は9月1日。エイプリルフールではなくて、防災の日です。 勤務地は東京の表参道ですが、今日から2週間だけ京都で働くので、新幹線の中でこのエントリを書いています。YAPCのトークでも話しましたが、東京で僕と一緒に働いてくれるエンジニアを絶賛募集中です。 長くなるのでとりあえずwishlistを置いておきますね。 http://www.amazon.co.jp/gp/registry/wishlist/3L07LJZVYI89C/ FA宣言したら20数社から連絡を頂いたんですが、その中からはてなを選ぶことにしました。はい。Perlの会社ですね。とは言えPerlは書かない予定です。とか言いつつちょいちょい書いてしまうことでしょう。 「Perlで、日本語の会社じゃねーか!」というツッコミが飛んできそうですが、はてなが一番自分を必要としてくれたと感じたので、入社させてもらうことにしました。こういう
面接対策で重要な企業研究。内定獲得が非常に困難な状況で、面接を通過し内定を勝ち取るために重要な面接対策とは何か。転職を考えている方(転職活動をすでにしている方も含む)と転職のプロであるキャリアアドバイザーに聞いてみました。そこから見えてきた、最も有効な面接対策とは。 転職を考えている方とキャリアアドバイザーのそれぞれに、面接対策として重要だと思う打ち手についてアンケートをとったところ、右のような結果になりました。 転職を考えている方もキャリアアドバイザーも、順番こそ違いますが、面接対策ベスト3は「仕事内容の確認」「事業概要の理解」「商品・サービスを研究」で同じ項目でした。応募企業がどんなことをしており(事業概要の理解)、何を売っているのか(商品・サービスを研究)、そこで何をするのか(仕事内容の確認)という3つの項目は、働く上で基本的な情報という考えで一致しています。 しかし、上記のう
2004年、僕が前職で広告の制作をしていたころ、当時住んでた初台のマンションではてなが東京にくるというレポートを深夜まで読みながら、「あのはてなが東京にくるんだなー」とひとり興奮していたのを昨日の事のようにように覚えています。 ちょうどそのころは仕事で大学にwikiを導入しようとしていて、日本のwiki活動家の皆さんやwikiばなの存在を知って、wikiばなVol.2の懇親会に参加させてもらったのでした。今みるとすごいメンツだった…。 そこにはてなIDを入れた名刺を作ってもっていって「名刺にはてなIDいれてくれるなんて嬉しい」と、そんな会話をしたのが近藤さんとの初めての会話でした。 2005年にはblog hackers conferenceがあって、そこではじめてセコンさんと会って、2006年に彼がはてなに入社して「はてなかーすげーなー」って思っていて、でもそんなスゲー人ばっかりがいる会
エンジニアとして働きはじめて、まだ10年も経っていないけれど、ちょうどいい機会なので、この機会に振り返っておこうと思う。武勇伝なんて派手な話は何もない地味なエンジニア人生だけど、自分が関わったものが誰かに使われているのを電車の中で見たりすると、ちょっと嬉しいです。id:naoyaさんや登大遊さんのように、カッコイイエンジニアになりたいなぁ、とあこがれます。エンジニアとしての転機皮肉なことに、エンジニアとして独り立ちしたな、と自覚するようになったきっかけは、リストラだった。それなりに大きな会社だったのだけど、事業部がリストラで解体されていく中で、若手の現場のエンジニアが減っていき、減ったエンジニアの仕事をやらざるを得なくなった。事業部ごと解体されようかという勢いの中で、いきなりそれ新人の仕事じゃないだろう、という大きな仕事をふられて、右往左往して泣きながら必死で働いた。超神水みたいなもので、
2008年から4年ほどフリーランスのライターをやっていましたが、今週から 株式会社はてな にお世話になっています。引き続きよろしくおねがいいたします。 経緯など どこから説明したものかという話ですが、ご存知の方はご存知のようにわたくしこと id:mohri はそれなりに古くからのはてなユーザーとして要望やら愚痴やらをダイアリーに書いたり、また前職では書籍編集者として『はてなの本』や『「へんな会社」のつくり方』を担当しました。先日は「HUG Tokyo」というイベントで、ITについてプレゼンできるはてなユーザー枠で10分ほどしゃべったりもしています。 一方、フリーランスになってからは主にFacebook関連の原稿を書いており、Twitterをふくめてソーシャルメディアに関してユーザー目線で使い勝手や利用法などを考察してきました。インプレスのできるポケットFacebookなど書籍にも執筆し、M
「たいへんな所に来ちゃったな」――はてなを辞め、グリーに入社してから1週間。伊藤直也さんはこう漏らす。グリーの動きの速さに驚き、追いつくのに必死という。 ニフティで「ココログ」を開発し、04年、はてなに転職。05年、ヒットサービス「はてなブックマーク」を生み出し、CTOとしてはてなの技術を統括してきた。 はてなの技術の代名詞でもあった伊藤さんは、なぜこのタイミングでグリーに移ったのか。グリーは伊藤さんに、何を期待しているのか。伊藤さんと、グリーの田中良和社長に聞いた。 モチベーションが保てなくなっていた ――なぜはてなを辞めたのですか。 伊藤 いろんなことが重なって、環境を変えてみようと思っていた。 はてなにはスタートアップのころから6年いて、40~50人の会社に成長した。はてなは、(社長が)アメリカに行ってみたりなど遠回りする会社。自分が思い描いていたベンチャーのスピードより、成長が遅か
本日4/18は、2008年の5/1より4年間奉職した株式会社はてなの最終出社日でした。正式な退社日は今月末日になります。 思えば、入社する前は、僕は奄美大島という田舎で市役所の職員をしていて、Webとはまったく関係ない、なんというかまあ、とにかくいまとはまったく別の仕事をしていました(具体的には、生活保護の担当をしていて、毎日いろんな問題のあるひとびととおしゃべりなどするという仕事をしていました)。それが、京都という、それまで住んでいたところからするとはるかに都会の、さらにはITベンチャという、まさに地理的、環境的に、あらゆる面で正反対の仕事をすることになって、人生なにが起こるかわからないものです。 大学の頃までは、インターネットになどまるで興味がなく、親のおさがりのMacを所持してはいたもののネットにつなぐことなく、単にレポートや小説などを書くためのワープロとしてしか使っていませんでした
昨日は退職の挨拶にブックマークや Twitter などで多数のコメントをいただきました。改めて、自分がたくさんの人に支えられていることを実感し、自分は幸せ者だなと感じました。本当にありがとうございます。 いただいたコメントで「次はどこへ」というご質問を多数いただきましたので、報告させてください。 本日より、グリー株式会社で働きます。 グリーのサービスのビジョンは「インターネットを通じて、世界をより良くする。」というメッセージに集約されています。 インターネットが本格的に世の中に普及してすでに10年以上の年月が立ちますが、まだまだ、それが秘める体験は世の中の人々に届いていないと感じます。ここ何年かの間に、ブログや SNS、ソーシャルゲーム、ソーシャルメディアなどの大きなトレンドがあって、その中で各サービスがその体験を補完する形で立ち上がってきました。 これから10年20年、自分がやるべきこと
この度、はてなを退職し、ミツバチワークスに入社致しました。 はてな在職中は、自作サーバの開発、各種サービスのオペレーションエンジニアリング、チームマネジメントなど、多くの業務に携わりました。とりわけ2011年4月に京都に異動してからはエンジニアリングを行いながらサービスの収益化も担当し、ウェブサービスのビジネス部分にも関わらせていただきました。 板金工場でサーバシャーシ設計したりデータセンターでラッキングしていたと思ったら、ミドルウェアのチューニングや各種省力化/自動化を実装したり、さらにクラウド化を進めたりベンダさんと交渉をしたり、L1-L7領域をはみ出してL0やL8までできたのがとても印象的です。 エンジニアチームでの仕事はもちろんですが、はてなのビジネスチームとの仕事もとてもエキサイティングでした。アドネットワークやアフィリエイト導入改善、ウェブ解析/SEO、事業開発など、はてな入社
技術者としての良心に従ってこの記事を書きます。俺はセキュリティとプライバシーの人ではなく、JavaScriptとUIの人である。法律の勉強だって自分の生活と業務に関わりのある範囲でしかしないだろう。しかし少なくともJavaScriptやブラウザが絡むような部分については、確実に自分のほうが理解していると思っている。高木浩光さんが、あからさまに間違ったことを書いたり、おかしなことを書いていたりしても、徐々に誰も指摘しなくなってきたと思う。おかしなこと書いていたとしても、非技術者から見たときに「多少過激な物言いだけど、あの人は専門家だから言っていることは正論なのだろう」とか、あるいは技術者から見た時でも、専門分野が違えば間違ったことが書かれていても気付けないということもあるだろう。 もう自分には分からなくなっている。誰にでも検証できるような事実関係の間違い、あるいは、技術的な間違いが含まれてい
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