【小飼弾×KLab若手エンジニア】業務と関係なくても問題なし!? KLabが実践する、エンジニアが自由に開発・発信できる環境づくりとは?|飲み会で探るエンジニアのホンネ
Twitter社において日本人エンジニアとして活躍するひげぽんこと蓑輪太郎氏が、ITジャーナリストの西村賢氏と対談。勤務の習慣や開発環境、また社内の天才ハッカーが見せる特別な技術などについて語りました。 Twitter開発のテストはローカルで 西村賢氏(以下、西村):Twitterって巨大な世界的企業で、一般的な開発と全然かけ離れているイメージがあったんですね。今ちょっと驚いたのがRailsでローカル環境でまだやってるということで、ローカル環境、例えば蓑輪さんも入られて最初、Macかなんかで開発するわけですよね。その上に開発環境を整える。 具体的に、例えばデータベースのところはどうするとか、結構この環境構築は大変なんですか、最近、その開発環境とステージングとプロダクションをなるべく近づけろとか、ありますよね、そういうトレンドが。そういう意味で言うと、ローカルTwitterが再現できちゃうと
2018年4月25日をもちまして、 『CodeIQ』のプログラミング腕試しサービス、年収確約スカウトサービスは、 ITエンジニアのための年収確約スカウトサービス『moffers by CodeIQ』https://moffers.jp/ へ一本化いたしました。 これまで多くのITエンジニアの方に『CodeIQ』をご利用いただきまして、 改めて心より深く御礼申し上げます。 また、エンジニアのためのWebマガジン「CodeIQ MAGAZINE」は、 リクナビNEXTジャーナル( https://next.rikunabi.com/journal/ )に一部の記事の移行を予定しております。 今後は『moffers by CodeIQ』にて、 ITエンジニアの皆様のより良い転職をサポートするために、より一層努めてまいりますので、 引き続きご愛顧のほど何卒よろしくお願い申し上げます。 また、Cod
2006年4月以来、4年間に渡った本連載、今回で最終回となりました。トリを飾るのは、写真ストレージサービス「Ficia(フィシア)」を開発しているえとらぼ(株)代表取締役の衛藤バタラさんと開発部の廣瀬正明さん、大沢和宏さん、松野徳大さんです。少数精鋭を地でいく面々に、会社の生い立ちからインタビューが始まりました。 撮影:武田康宏 新たに会社を始めた理由 弾:本連載でいろんな方をインタビューしてきたんですけど、バタラさんはたぶん僕と一番境遇が近いんですよ。上場させた会社でCTOをやって[1]、そこを辞めて。その後は、僕は1人で好きなようにやってますけど、バタラさんはまた会社を始めましたよね。その理由は? 衛藤バタラ(以下、バ):会社というより、サービスを作りたかったんです。世の中にあるいろいろな写真ストレージサービスを見ていると、こうだったらいいのにと思うことがあって、それを形にす
株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA) 「Mobage」「DeNA ショッピング」「モバオク」など、様々なモバイルインターネットサービスの提供や、プロ野球「横浜DeNAベイスターズ」の経営などで広く知られる東証一部上場企業。積極的に新しいサービスの創出へ取り組んでおり、人気漫画家の新作連載が無料で読める週刊漫画雑誌アプリ『マンガボックス』等、注目のサービスを続々とリリースしている。 どうも、こんにちは。小飼弾です。 前回から始まった、エンジニアの本音を(飲ませて)聞き出すこの企画、今回はDeNAさんにやってきました。 DeNAといえばMobage(モバゲー)のイメージが強いけれど、何やら常に新しいことにチャレンジしようとうかがっている様子。最近は『マンガボックス』なんかも注目度が高いですよね。 今回もエンジニアの本音を聞いちゃいましょう! では、お酒を持って突撃~!
というわけで、Larry Wallの来日とともに、いきなり連載スタートです。3月29~30日に開催されたYAPC::Asia::2006に合わせて5年ぶりに来日したLarryは、実は我が家の賓客でもありました。またとない機会なのでインタビューしてみた次第。なお、Larryが日本語で話した部分は《~》でくくっています。 撮影:武田康宏 弾(筆者):日本語はどれだけ話せるのですか? ラ(Larry):《簡単に会話を遅くします。でもペラペラじゃない。5年かけて少しずつ勉強しました。でも、練習することがあまりできません。本だけで簡単に…》 弾:ひょっとしてまだ1977年版Honda Accordに乗っているんですか? ラ:はい。もう29歳です。廃車にすると、環境条例でカリフォルニア州が500ドルくれるのですが、まだ乗ってます。 弾:最近お気に入りのアニメは? ラ:《あずまんが大王! ちよち
ネット上では「@higepon」のIDで知られる日本人のソフトウェアエンジニア、蓑輪太郎(みのわ・たろう)さんは、2014年9月現在、米国サンフランシスコ市内にあるTwitter本社に勤務している。前職であるサイボウズ・ラボを退職し、Twitterの日本法人へ転職したのは2年半前。ビザ手配の関係から渡米が遅れたが、1年8カ月ほど前に妻子を連れて家族ごとサンフランシスコへ移住した。 もともとエンジニアとしてアメリカで働いてみたいという憧れがあったという蓑輪さん。単に「憧れ」というだけではなく、着々とプログラミングや英語といったスキルを磨き上げて渡米したという印象が強い。「いつも当初の計画の数年遅れ(笑)」と自嘲気味に笑う蓑輪さんだが、数年単位で「憧れ」を1つずつ実現してきたことから周囲のエンジニアからも一目置かれる存在だ。 蓑輪さんは、趣味でOSや言語処理系を実装したり、IPAの未踏ソフトウ
今回のゲストは、分散バージョン管理システムGitのメンテナで『入門Git』(注1)の著者、濱野純さんです。Linuxカーネルの開発者、Linus Torvaldsさんから引き継いでGitのメンテナになった経緯から、対談スタートです。 (撮影:武田康宏) Gitに関わった経緯 弾:Gitに関わったきっかけは? 濱:2005年の4月にLinuxカーネルのバージョン管理システムとして使われていたBitKeeperが使えなくなる[2]からということで、Linus君がいろいろありものを探したんだけど、使えるものがなくて、誰かがいいのを作ってくれるまでのつなぎというつもりで、とりあえず自分でもコードを書いた、というアナウンスをしました。それをカーネルメーリングリスト(ML)で見ていたんですが、たまたまボクの本業がプロジェクトとプロジェクトの合間だったんです。なんかおもしろそうなこと始まってるじゃん、
Webエンジニアのキャリアにはどんな道があるのか、先頭を走ってるいろいろなエンジニアに話を伺うインタビュー連載。第1回はグリーCTOの藤本さんです。 [撮影:平野正樹] CTOの役割 ──私舘野も最近CTO[1]になって、長年CTOをされている藤本さんが、CTOに対してどんな考えをお持ちなのかを聞かせていただければと思い、本日はお伺いしました。突然ですが、ぶっちゃけCTOってエンジニアなのでしょうか? 藤本:純粋な意味ではエンジニアではないですね。もちろん技術の知識は必要で、エンジニアリングも業務で兼ねたりしますけど、それだけじゃないですよね。 ──大きな技術ビジョンを描いて、それに対して貢献したりとかでしょうか? 藤本:そうですね。会社がある程度大きくなると、そこに経営視点で貢献したり、技術と事業を結び付けたりなど、全体の舵取りをする必要があります。そういう意味ではいちエンジニアでは
中堅SIerを経て2009年にドワンゴに中途入社。複数のシステムの開発に携わった後、エンジニアの生産性を高めることをミッションとする部署の立ちあげに参加する。趣味はプログラミングとネトゲ。 ドワンゴ清水俊博氏にドワンゴのエンジニア文化について聞いた。2012年4月の第1回「ニコニコ超会議」の後、ドワンゴのエンジニアが大量退職するという危機的な時期があった。エンジニア文化を立て直す社内組織に参加した経緯を聞く。 ──転職のきっかけはコミュニティ活動とのことですが、当時参加していたコミュニティjava-jaの雰囲気をお聞かせください。 java-jaでは、スキルがある人たち、技術力がある人たちに囲まれていました。ヨシオリ(java-jaを立ち上げた庄司嘉織氏、清水氏の元同僚)も当時はSI業界にいて、互いに話をして共感しあい、友人になりました。 java-jaは、ヨシオリが「勉強会」という呼び名
「Titanium Mobile」の伝道師、「MobiRuby」「Wri.pe」などの開発者として知られる、増井雄一郎氏。執筆、講演などで日本中を飛び回り、一方で自らコードを書き続ける著名なギークの一人。多方面で精力的に活躍する増井氏の原点を聞いた。 Ruby関連では、その名を世界に知られる、日本が誇るギークの一人だ。20代から、Ajax、Ruby on Railsなどの技術を使ったWebアプリケーションの構築や、雑誌・書籍への執筆などで長くフリーランスで活躍。「PukiWiki」などのソーシャルアプリケーションの企画・開発を得意としてきた。2008年から渡米。アメリカでiPhone、iPad関連のアプリケーション開発に従事し、その後、Appceleratorのテクニカルエバンジェリストとして活動。 さらに、ミイルの取締役CTOとして、スマートフォンアプリ、ウェブサービス「ミイル」の開発に
ケータイ向けSNS「モバゲータウン」で知られるDeNAは、Web企業としての側面は見えづらい。PC向けのECサイトやオークションサイトも運営しているが、比率として大きいのはケータイ関連事業だからだ。しかし、サーバ側を見てみれば、mixiやlivedoorと同様のWeb企業。PerlやMySQLを使いこなしてスケールアウトするノウハウに長けたエンジニア集団を抱えている。モバイル向けOpenSocial対応のプラットフォーム「モバゲーオープンプラットフォーム」を実装した2人のエンジニアに話を聞いた。 「オークションサイトのビッダーズや航空券販売サイトのSkygateではJavaが使われていますが、それ以外はほとんどPerlですね」 こう語るのは、DeNAの木村秀夫氏(ソーシャルメディア事業本部プラットフォーム統括部 システムグループ)だ。モバゲーはもちろん、「みんなのウェディング」や「ネッシー
パソナテックは3月11日、同社が提供開始したITエンジニア向けサイト「てくらぼ」のオープニングイベント「Matz×Dan×Daiji エンジニア進化論」を実施した。イベントでは、Ruby開発者のまつもとゆきひろ氏と、ブロガーでプログラマの小飼弾氏のトークセッションが開催された。会場となった東京・秋葉原のUDXギャラリーは大勢のITエンジニアで埋め尽くされ、キャンセル待ちが出るほどの盛況だった。 トークセッションは、ニューズ・ツー・ユー 取締役 平田大治氏が司会し、まつもと氏と小飼氏に質問を投げ掛けた。まつもと氏と小飼氏が質問に○か×かで答えた後、平田氏が詳しく話を聞くというスタイルだった。以下にトークセッションでの2人の発言をいくつかまとめた。
Perl技術や文化の啓蒙・促進を促す組織「JPA」は2013年11月11日、新人事を公開。2013年11月1日をもって、肥後彰秀氏と和田裕介氏が新理事に就任したと発表した。 Perl技術や文化の啓蒙・促進を促す組織「Japan Perl Association(以下、JPA)」は2013年11月11日、新人事を公開。2013年11月1日をもって、肥後彰秀氏と和田裕介氏が新理事に就任したと発表した。JPAは、Perl技術の発展を促す技術者のためのカンファレンス「YAPC::Asia(以下、YAPC)」も主催しており、今回理事となった和田氏はYAPC運営委員会の委員長にも同時に就任する。これまでのYAPCを支えてきた人物の突然の引退発表により開催が危ぶまれた2014年のYAPCだったが、今回の発表により来年度のYAPC開催が約束された。 これまでのYAPCを支えてきたその人物とは、牧大輔氏と櫛
今や『Qiita』『Kobito』を知らないプログラマはいないだろう。同サービスを開発したIncrementsのCEO海野弘成氏は自身がプログラマでもある。どんな問題意識からプログラマ向けサービスを開発するのか。海野氏が語ったのは「もっと楽しく、色々なモノが生まれる世界を作る」という野望だった。 すべてのプログラマを幸せにする。 日本における職業プログラマ人口は約40万人(※)。 その中で技術情報共有サービス『Qiita』のユニークユーザー数はもうすぐ50万人に到達するというから驚きだ。 また、2012年4月にリリースされたMac用技術情報記録ツール『Kobito』も利用者を増やし続けている。 同サービスを手がけるIncrementsは、国内最大級の総合プログラマコミュニティを生み出した、といって差し支えないだろう。 同社CEOの海野弘成氏は、自身もプログラマとして活躍する。海野氏は「プロ
「予告.in」を例に挙げるまでもなく、マッシュアップなどの発達により、誰もが自分が考えたアイデアを素早く実装/公開できる現在。しかし、さかのぼること10年以上前から、斬新な“ネタ”を率先して実装し、世界を驚かせてきたトリックスターがいる。そんな彼が最も追い求めたのは、足す美学ではなく、「引く美学」……。今回のNew Generation ChronicleはCodeReposやPerl-users.jpなど、ネタを革新に昇華させ、日本のWeb業界に確かな足跡を残してきたYappoこと大沢和宏の物語。 ネタと革新のはざまで 1997年、後にimode元年と呼ばれることになる年の前年。都内某所のミスタードーナツでドーナツ作りに励んでいた男こそ、今回の主人公である大沢和宏氏である。その年、「まぐまぐ」と同じ日にYappoという検索サイトをスタートさせた彼は、そのノリでimode元年に突入。マクド
金子勇さんの急逝に際し、東京大学 情報理工学系研究科 創造情報学専攻の平木敬教授がインタビューに応じてくださった。平木教授は言うまでもなく超高速コンピューター研究の第一人者であり、Winnyが世に出る以前から金子さんの優れた理論構築と実装力を認め、Winny裁判でも、またそれ以降も積極的にバックアップし、尽力してきた人物だ。そして、2012年12月に金子さんが東大に復帰してから最も身近に接してきた一人でもある。 Winnyは金子さんの持つ天才性の一端でしかないはずで、平木教授は、金子さんの功績をもっと世の人に知ってもらいたい、と語る。研究者・金子勇さんの素顔に迫る本記事は、前後編2回に分けてインタビュー形式でお伝えしていく。 (※インタビュー収録日:2013/7/10) ■「一人の人が作ったものが、これだけ日本で広く使われたことは非常に重要な業績」 平木:彼は世間的には『Winny』の作者
2024年4月1日より、Supership株式会社は親会社であるSupershipホールディングス株式会社に吸収合併されました。 合併に伴い、存続会社であるSupershipホールディングスは社名をSupershipに変更し、新たな経営体制を発足しました。本件に関する詳細は、プレスリリースをご確認ください。 2024年4月1日より、Supership株式会社は親会社であるSupershipホールディングス株式会社に吸収合併されました。 合併に伴い、存続会社であるSupershipホールディングスは社名をSupershipに変更し、新たな経営体制を発足しました。 本件に関する詳細は、プレスリリースをご確認ください。
今週も、はたらく机でスタッフを紹介していきたいと思います。 今日はLINE株式会社 開発2室 開発2チームでマネージャーをしている方です。 ――入社日を教えてください 2010年の2月です。 ――現在はどのような仕事内容ですか? LINE関連の、まだ公開されていないものを作ってます。主にサーバサイドのプログラムを書いていて、雑用が多いですね。 ――開発2チームはどんなチームですか? エンジニアだけのチームで、アルバイトも含めて11人。スマートフォン向けのアプリ開発が4人、残りがサーバサイドを担当しています。全員違う案件をやっているので、チームとしての雰囲気というのはないですね。 ――マネジメントで気をつけてることはありますか? チームメンバーの工数は把握していますが、マネージャーらしいことをあまりしていないのでその質問でいうと「無い」ですね。 ――入社されて4年目ですが、今のLINE株式会
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