「うんこ」だ「チンコ」だのという下らなさと、ビートたけしの流れを汲んだスピードと語感、とんねるずが示し続けていた「テレビ人としての不適合感」、そしてダウンタウンやウッチャンナンチャンらが作った新しい時代の漫才やコントの要素も備えた、「極私的お笑い歴史」の集合体が、私にとっての爆笑問題でした。 彼らを観て、私が初めて気づいたのは、「テレビにフィットしない人がテレビの中に存在する重要性」です。 太田光・田中裕二両氏から醸し出される正義、差別、真摯さ、頑固さ、思いやり、反骨心、拗らせ、エロ、ナンセンス、インテリジェンスは、初めて彼らを観た日から一貫して変わっていません。彼らが社会人として保とうとするバランス感覚は、往々にしてテレビの予定調和や様式美から見事に逸脱します。その様が、ここへ来てさらに愛おしくてならないのです。 今後ますます妥協と安心の産物になっていくのがテレビなのだとしたら、爆笑問題