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2009年11月4日のブックマーク (4件)

  • バスケットボールとSEX

    中学生になったばかりの頃、ぼくらは小学校の頃に通っていたバスケットボールクラブに顔を出しに行った。すると小学6年生の一人が僕たちに、小学生チームと試合をしてくれ、と言ってきた。僕以外の二人は乗り気だったが、僕はそうでもなかった。というのも、ぼくときたら体育の成績が悪いほうで、マラソン大会なんか学年中・男女込みで下から2番だったくらいに体力がない。バスケットボールはそれなりに好きだったけれど、試合では特に活躍もできないし、自分が下手くそなことをよくわかっているから、点を取ろうという意欲もほとんどなかった。友達やイタリア人ハーフのコーチはそんなことは知らないよという感じで「バスケって当に楽しいよな!」といつも僕のことを仲間はずれなどにせず誘ってくれていた。「だって俺たちは友だちだろう?」って感じだった。 それでも彼らの足を引っ張るのは嫌だったし、みっともないプレーをして下級生に恥を晒すのも嫌

    バスケットボールとSEX
    bhikkhu
    bhikkhu 2009/11/04
  • 戦艦と軍艦と護衛艦はなにが違うのか? - リアリズムと防衛を学ぶ

    先のエントリは、多くの皆様が読んでくださったようで、ありがとうございます。 なぜ護衛艦”くらま”はコンテナ船よりも脆いのか? - リアリズムと防衛を学ぶ ところが、私の配慮不足があったようですブックマークコメント欄ほかで、「なるほど、現代の『戦艦』は装甲が薄いのか」という感想を抱かれている方が少なからずいらっしゃいました。私の説明不足で、「戦艦」と「軍艦」を混同させてしまったようです。現代の海軍に「戦艦」は一隻もありません。ですが日では戦艦ではない艦まで誤用でそう呼ぶことがあります。新聞社までたまに間違えているほどです。 そこで今回は「艦の種類」がテーマです。新聞やニュースにでて来やすい「護衛艦」「イージス艦」と「軍艦」など、そしてそれらとよく間違われている「戦艦」にしぼって解説します。 軍艦はカテゴリの総称、戦艦はその中の種類 戦艦はもう存在しない 戦艦はなぜ廃れたか 多用途につかえる

    戦艦と軍艦と護衛艦はなにが違うのか? - リアリズムと防衛を学ぶ
  • 不動産購入に関する一つの(ショックな)気付き - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing

    (感謝とお詫び) 昨夜、寝がけにぼそっと書いたエントリにたくさんのアクセスを頂きありがとうございます。私個人としては発見内容についてはオドロキでしたが、世の中的にはこれだけ買っている人も多く、もしかしたら常識なのかも、と思っていたので、ちょっと反応の大きさにびっくりしています。 お詫びと言うのは下の三茶のケースに上げた計算が、間違っていたことで(ローンのところで手数料が二度カウントになっていました)、この場合ですと、買う場合の損は約1000万円ではなく、200万円になります。今回自分が作ったスプレッドシートがブログに書くには複雑で、なおかつ極めて個別性が高いケースだったので少しでも一般化しようとして、つなぎ合わせるように新しく作ったのが失敗でした。(苦笑)下の表記は初めて読む人のために、元の表現を残す形で、修正しました。 みなさま、当に申し訳なし! ただ、全体としての考え、僕個人のケース

    不動産購入に関する一つの(ショックな)気付き - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing
  • asahi.com(朝日新聞社):「悲しき熱帯」レビストロース氏死去 「構造主義の父」 - おくやみ・訃報

    【パリ=国末憲人】20世紀を代表する思想家で文化人類学者のクロード・レビストロース氏が死去したと、AFP通信が3日、出版社の情報として伝えた。100歳。今月28日には101歳の誕生日を迎えるはずだった。  同氏はパリ在住。メディアにはほとんど出ないが、健康で、旅行もしていたという。今年に入って一時健康を害したものの、頭脳の明敏さは相変わらずだったという。  昨年11月に同氏が100歳の誕生日を迎えた際には、地元フランスのサルコジ大統領が訪問して敬意を表した。大統領府によると、現代社会の今後についてサルコジ大統領と意見を交わしたという。様々な記念行事も催された。  レビストロース氏は構造主義の父といわれ、55年に発表した「悲しき熱帯」が人文社会科学全般に大きな影響を与えた。日文化の愛好者としても知られる。      ◇  レビストロースさんは1908年、ベルギー生まれ。パリ大学で法学と哲学

    bhikkhu
    bhikkhu 2009/11/04
    存在を思い出すたび「まだ生きてたんだ」とか思ってたおいら。