北九州市立大学 文学部 教授 八百 啓介 我が国における砂糖の歴史は、古くは奈良時代の東大寺正倉院の『種々薬帳』にその名が見られるように、そもそもは中国伝来の貴重な薬種であった。やがて室町時代の『七十一番職人歌合』に「さたうまんぢう(砂糖饅頭)」、『庭訓往来』に「砂糖羊羹」の名称があらわれることから、この頃には明との勘合貿易などにより輸入された砂糖が菓子の甘味料として用いられるようになったと思われる。 その後、16世紀半ばの戦国時代の末期にマカオからポルトガル船が九州各地に来航していわゆる南蛮貿易が始まると、おそらくは中国産の砂糖が安定的に供給されるようになる。最近のポルトガル船の積み荷の研究によれば、年間150キロ前後の砂糖が輸入されていたという。 江戸時代に入ると17世紀から18世紀初期にかけて福建省から琉球・奄美に黒砂糖の製法が伝えられ生産が始まった。しかし白砂糖や氷砂糖は、18世紀