先日、小宮友根さんが表現規制についてエッセイを書いていた。それに対する評論はアンコリさんがやっているが、基本的には「累積的な抑圧経験」によってそれを想起させる表現への対抗を正当化していてる。 私はこれを読んでいた際、小宮さんの議論に則ったうえでメンズリブの議論をする、ということが可能であることがどうしても気になった。男だって……という論法はwhataboutismだと思うので、前回評論である「表現規制論と女性の自発的モノ化」ではあえてやっていなかったが、彼のエッセイを読んでいた際、whataboutism以上のものであるのではないか――ということが気になったのである。 男性に対する
![男性の価値をモテで測ってはいけない。それは男性へのセクハラであるうえ、女性への加害にもつながる。|ショーンKY](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/be9d1357044b0f7642b038b65f81e76fbb87c7b2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F16729222%2Frectangle_large_type_2_3eaba8202d91baccdb60f69561055574.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)