【編集委員・今井邦彦】モンゴル高原を中心に紀元前3~紀元1世紀ごろに遊牧国家を建てた騎馬遊牧民族、匈奴(きょうど)の製鉄炉跡が、モンゴル中東部で見つかった。匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す遺構とみられる。 愛媛大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の共同調査団が2011年以降、ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基を発見。放射性炭素年代測定で紀元前1~紀元1世紀ごろのものと判明し、11月に愛媛大であったシンポジウムで匈奴の製鉄遺跡と報告された。 幅数十センチ~2メートル、深さ30~40センチほどの穴や地下に延びる細いトンネルに、鉄と分離した不純物(スラグ)や炭が詰まっていた。地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。
正式発表から既にフライイング気味で話題の『ニセチャイナ』ですが、ようやく完成しました! カバーは以下の様な感じに仕上がっています! 多少、扇情的ですが企画の本質を表しています。旭日旗の中に中華民国の青天白日旗が入っている訳ですが、中華民国臨時政府、中華民国維新政府、中華民国南京政府、共に日本占領域で出来上がっていきました。 『ニセチャイナ』という書名に対して「中国を刺激しないのか?」という意見が寄せられていますが、むしろ中国の現政権、中華人民共和国としては日本が造った傀儡政府は「偽政府」なので、ネーミングとしては合致しています。 かと言って、著者も編集者も特に中華人民共和国支持者という訳ではありません。この本の内容や記述は、イデオロギー的には中立です。考えてみるとこれからこの書名を毎回説明していかないといけないのかと思うと、少々面倒ですが、単なるダジャレとして受け取って貰えれば幸いです。
著者の広中一成氏は対日協力政権の専門家。私の留学時代の飲み友達であり(飲んでいるのはもっぱら私だったが)、本サイトにも『ニセチャイナ』についての紹介文を寄稿してくれている。 (関連記事:忘れさられた「ニセ政権」とは=日本の傀儡政権を総ざらい、広中一成『ニセチャイナ』) ■迷走を生み出す“ずれ”を丹念に拾う誠実さ 本書は500ページの読み応えのある一冊。各対日協力政権の誕生から滅亡までの流れを追う本文に加え、地図、図表、写真、コラムもたっぷり。それぞれの政権の歴史を追う読み方もできるし、あるいは6つの対日協力政権を通してみることで、別の角度から見た日中戦争通史として読むこともできる。細かく小見出しがついているので、興味あるトピックを拾い読みする読み方も可能だ。 さまざまな読み方を可能にしてくれるのだが、その一因ともなっているのが本書のちょっと不思議な構成だ。いわゆる「はじめに」「おわりに」が
昨日、院生Mに言われて、本日が調度百年前にチベット・モンゴル条約が締結された日であることを思い出した。なので本日急遽チベット・モンゴル条約に関するエントリーをあげる (確認の甘い部分があると思うので、気がついたところからあとで治す)。 20世紀初頭、清朝は主要な地に限って官員を駐在させ、チベットとモンゴルの社会と文化は尊重するという伝統的な政策を一方的に廃し、モンゴルと東チベットにおいていわゆる「新政」という名の実効統治を開始した。この情勢を受けてチベットとモンゴルの王侯たちはそれぞれの立場から様々な対抗措置をとった。 ハルハ・モンゴルは1911年に中国からの独立を宣言し、モンゴルにおけるチベット仏教界のトップ、ジェブツンダンパ八世を国王として推戴した。このあとモンゴルはロシアの庇護を受けることに成功し、結果として現在も独立国として存続している。 一方、チベットにおいては、チベット仏教界の
2012年12月31日に起きた、台湾とモンゴルの関係の転機について。歴史四方山話満載でなかなか面白いネタである。主にRFI中国語を参照した。 Ulan Bator (Mongolia) / Mario Carvajal ■清朝・理藩院の名残、蒙蔵委員会が消滅 現在、中華民国が統治しているのは台湾に限定されるが、建て前としては清朝の後継国家として中国本土の領有権も主張している。その中国本土の中でもチベットや新疆、甘粛省など旧藩部を統括する部局が蒙蔵委員会だ。清朝の理藩院からの組織割りが21世紀の今まで残っていたという次第。 台湾行政院の組織改組に伴い、2012年12月31日を持って消滅。業務及び人員はモンゴル処、チベット処として大陸委員会に所属することになった。 ちなみにモンゴルもチベットも統治していなかったのに70人のスタッフがいたとのこと。業務としては台湾在住のモンゴル人、チベット人絡み
最近チベット近現代史の知識強化を行っている。そのため、土曜日は早稲田大学の「中央ユーラシア歴史文化研究所」主催のシンポジウム「近代モンゴルにおける『モンゴル史』の構築」に行き、日曜日は北大スラブ研究所主催のワークショップ「ユーラシア地域帝国としての清朝研究」と立て続けに行ってきた。 しかし、「まじめに座って勉強する」をやりすぎたせいか、日曜日の晩に20時きっかりに激しい悪寒に襲われど派手に体調が崩れた。状況から察して知恵熱かと思われる(おい)。 教訓: わたしはまじめに勉強すると死ぬ。 さて、こんな肉体的な苦労をともなったシンポジウムなので、一般人にも分かるように適当な報告して元を取ろうと思う(正確かつまじめな文作をする体力はまだない 笑)。 ●●●「近代モンゴルにおける『モンゴル史』の構築」●●● まず、早稲田のシンポジウムの方は発表者は以下の三人で、最初のゲストをのぞく残り二人は自分の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く