こんな議論が2012年5月20日に戦わされた。「21世紀のグローバリズムから見たチンギス・ハーンとモンゴル帝国」 と題された会議では、日本の研究者をはじめ、モンゴル国、中国内モンゴル、ロシアのブリヤートから研究者たちが貴重な情報を持ち寄り議論が交わされた。 今回は、この非常に刺激的な会議でなされた議論を中心に、ロシアやモンゴル、中国、日本などでの現在のチンギスハン評価に関してご紹介したい。 チンギスハンの子孫として誇りを持てるようになったモンゴル人 チンギスハンは古くて新しいトピックである。 13世紀には世界を席巻、東部ヨーロッパ各地から日本までを震撼させた帝国を築き上げた人物として、その後は、世界各地に継承国を作った人物として・・・。 チンギスハン統原理と呼ばれる、王になるものはチンギスハンの血を引いたものでなくてはならないという原理を元に、多くの王がチンギスハンの子孫を名乗った。 子孫
ボグド・ハーン政権の統治機構は清朝のそれをほぼ承継し、速やかな政府構築を行なった。また、モンゴル統一のため内蒙古に軍を派遣し、一時はその大部分を制圧したが、政権の後ろ盾であるロシア帝国が清朝との関係悪化を懸念し、モンゴル軍の内蒙古からの撤退を要求したため、断る術の無いボグド・ハーン政権は国土統一を目前にして撤収を余儀無くされた。 1915年、キャフタ協定で清朝の後継国家である中華民国宗主権下での外蒙古は自治のみが承認された。内蒙古でも独立を目指す動きが見られたが、内蒙古の大半の地域が漢民族居住地になっており、中国は内蒙古を手放そうとしなかった。また、漢民族が主体の内蒙古を併合することで政権の主導権を奪われることを恐れたモンゴル人の思惑もあり、内外蒙古の合併は実現しなかった。 1917年、ロシア革命が勃発してロシア帝国は崩壊し、中国は後ろ盾を失った外モンゴルに対する勢力回復に乗り出した。19
鷹島沖が国史跡に 元寇の遺物発見 初の水中遺跡 2012年2月17日 19:44 カテゴリー:九州 > 長崎 文化 海域で出土した木製の大碇(文化庁提供) 国の文化審議会(西原鈴子会長)は17日、元寇(げんこう)(弘安の役、1281年)で元の船団が暴風雨により沈んだ地点とされ、船体の一部など海底から大量の遺物が発見された長崎県松浦市鷹島に面する海域を「鷹島神崎(こうざき)遺跡」と命名し、文化財保護法に基づく国史跡に指定するよう平野博文文部科学相に答申した。近く答申通りに告示される。海や湖などにある「水中遺跡」の国史跡指定は、国内で初めて。 文化審は「蒙古襲来は、鎌倉幕府を崩壊させる遠因となった大事件。発見された遺物は従来、文献や絵画でしか分からなかった元軍の装備などを具体的に明らかにした。当時の軍事・外交を理解する上で極めて重要な遺跡」と評価した。松浦市は文化庁から管理団体に指定され、
と言うワケで特別展 北京故宮博物院200選に行ってきました。どうにもこうにもお蔵出しの清明上河図が人を呼ぶらしく、噂に違わぬ盛況ぶりでした。8:30に東博について列んで、見られたのが11:00なので思ったよりは早かったモノのやはり結構掛かりましたね…。でも、予想外だったのがそれ以降にも結構な時間掛かったことですね。17:00に設定したオフ会ギリギリまで掛かって見てしまいましたね…。あんまり期待せずに行ったんですが、清明上河図以外にも結構良いものが来てます。大物の絵巻物の展示が3巻もあったので図録にすると小さいのですが、全幅載っているのは素晴らしいですね。絵の部分だけではなく賛や跋の部分もカラーでガッツリ載ってますから、自分の様に鑑賞印とか鑑蔵印見るだけでニヤニヤ出来る人には勝って損なしです。と言うか、展示に行かなくても図録だけ買っても良いくらいですね。実に素晴らしい!と言うワケで以下備忘録
毎年2月に開かれる「菜の花忌」。作家の司馬遼太郎さんをしのび、当日は「司馬遼太郎賞」の贈賞式などが行われます。前回受賞した静岡大教授の楊(よう)海(かい)英(えい)さん(47)は、中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者。中国では現在もタブーとされる文化大革命(1966~76年)で、その人生が大きく変わり…。(磨井慎吾)文革の辛い記憶 3つの名前を持っている。モンゴル名のオーノス・チョクト、中国名の楊海英、帰化の際に付けた日本名の大野旭(あきら)だ。言論活動では「楊」を使うが、好きなわけではないと話す。「帰化の前から楊の名前で書いてきたから。中国の少数民族は中国名を持たないと不便が多く、その意味では植民地的な名前。でも使っていると常に内モンゴルという自らの出身を意識する」 帰化前の国籍は中国だが、自己認識はモンゴル人。漢民族が支配する中国を祖国とは思わないが、外国では中国人として扱われる。
モンゴル帝国の創始者チンギス・ハーン。 彼は、一般的に、世界最大の征服者と考えられています。 そして、しばしば彼は、その軍事的天才を賞賛されています。 例えば、『THE HARPER ENCYCLOPESIA OF MILITARY BIOGRAPHY』を引いてみると、彼は「史上最も偉大な征服者の一人で、あらゆる時代を通じて最も偉大な将帥の一人(One of the greatest conquerors in history and one of the greatest generals of all time)」(277頁)と評されています。 ですが、それほどまでに軍事的名声の高いチンギス・ハーンという人物、実のところ、その名声ほどには凄い将帥でなかったりします。 もちろん、軍事的能力に欠ける人物が大征服者となれるはずもなく、チンギスにある種の軍事的能力が、素晴らしい水準で備わってい
コーエー歴史ゲーム・蒼き狼と白き牝鹿4のファンサイトはじめに 当サイトはコーエー歴史SLG「蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーン」のファンサイトです。 そして中国歴史ドラマ「チンギスハーン」の紹介サイトでもあります。 2008年4月3日をもって、「蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーン」は発売十周年! 2008年6月3日、当サイトのアクセスが1,000,000を突破しました! 私見に基づくゲーム「蒼き狼と白き牝鹿4」の攻略法&リプレイ紹介。 チンギスハーンとその子孫が活躍した12〜15世紀の歴史の紹介。 歴史ドラマ「チンギスハーン」のストーリー・人物・感想など。 当サイトに対するご意見・データ投稿はこちらまで。 攻略記事はWindows版を基準にしておりPS版では一部の記事が役に立てない事があります。 Win版パワーアップキットは販売終了しました。今後の入手の可能性はこちらから確認願います。
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