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ろ_ロシア史とみ_民族に関するbitheibooのブックマーク (3)

  • 『アファーマティヴ・アクションの帝国』 テリー・マーチン著 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    アファーマティヴ・アクションとは、アメリカ歴史政治で使われる用語である。 差別に苦しめられてきたエスニック集団の人びとを優遇する政策のことだ。著者は、ソ連こそ世界史上初めて少数民族のためのアファーマティヴ・アクションを実現した国家と考える。地元民幹部の積極的登用や民族語の公用語化などがその具体例である。 レーニンやスターリンは、ナショナリズムの巨大な力を見抜き、これを社会主義に利用するために民族の枠組や形式をつくることで、反革命を団結させるナショナリズムの力を骨抜きにしようとした。ナショナリズムの武装解除を、民族らしい形式を整えながら実現しようとした戦略こそ、「アファーマティヴ・アクションの帝国」だったというのだ。 ナショナリズムは動員力のある極めて危険なイデオロギーであり、階級を超える結束をもたらしかねなかった。レーニンたちは、民族意識も歴史が通過すべき一段階であり、非ロシア人による

  • ソ連介入後のアフガニスタン内戦

    ソ連介入後のアフガニスタン内戦 ~ムジャヒディン闘争史~ 決して「穏やかな気候」とは言えないだろう。中央アジアの南に位置し、イラン・パキスタンに国境を接しているアフガニスタンは、冬になるとヒンズークシの白峰から吹き下ろす寒風に身をさらすことになる。冬は全ての活動を停止させる。この国の血なまぐさい主導権争いですら、その掟の前には従わざるを得ない、、、 1978年12月、北方から最新近代兵器で武装したソ連軍が侵入、「シルクロード」の要衝として栄えたその地は、激しいゲリラ戦の舞台に様変わりした。そして冷戦終焉間際の1989年2月、約10年間続いたソ連の介入は「撤退」という形で終わる。反ソゲリラの英雄たちはイスラム国家の樹立を夢見て連合政権を発足させるも、失敗。以後、今日まで血で血を洗う内戦が続いている。 今回、わたしはゼミの研究地域としてアフガニスタンを選んだ。一応「ソ連介入後」と銘打ってはいる

  • ロシアの同化政策?――zapiska o rossijskoj istorie - Danas je lep dan.

    以下の記事を読んでちょっと考えた。 (……)欧米も植民地に学校を作ったし、人口は増加した。日は欧米と違い、現地人を平等に扱ったというが、その証拠は日教育や日文化の注入などの同化政策であり、19世紀フランスの同化主義や、19世紀後半のロシアの同化政策を全く無視している。日も欧米の植民地になったとして、何が問題なのか? - 上田亮の只今勉強中 そもそも19世紀後半のロシアに「同化政策」なんてあったのかしらん? イギリスのロシア史研究の大家,ドミニク・リーヴェンは次のように指摘する。 (……)ロシア帝国は伝統的に,イギリスよりはるかに同化主義的で,かなりの数の貴族ももともとはタタール人や遊牧民の出身だった。しかし,19世紀までにロシア人エリートの西洋化が強く影響し,非ヨーロッパ人を同化させようとする意欲も萎えてしまった。ロシアでは,遠い将来はともかく,おそらく同化不能で,ロシア皇帝の普

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