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2011年11月23日のブックマーク (4件)

  • 白雪姫と七人の小坊主達 法王会見の質問内容に脱力

    被災地での法要を終えたダライラマは7日に離日し、次の滞在地であるモンゴルに向かった。 最終日、ダライラマ法王は自由報道協会という会(記者クラブに反対するフリー・ジャーナリストが立ち上げた会)の主催で記者会見を行った。その模様はニコニコ動画やユーストリームで誰でも見られる形でリアルタイムに公開されたので、多くの人の目に触れることとなった。 わたしは最初ニコ動で見ようとしたら視聴者が多すぎてはじかれ、プレミアム会員にならないとダメと言われたので、ユーストリームの方で見た。ちょうど、日赤軍の重信房子の娘さんとかがパレスチナ問題について法王に質問するところから見だした。後ですべての内容がネットにアップされたので、最初の方も知ることができた。 まず、最初法王から今回の来日の目的が高野山大学における灌頂であること、また、震災49日法要の時と同じく、津波・地震の被災者にメッセージを送るためであることが

  • 理念型としての「中国」 - 梶ピエールのブログ

    中国化する日 日中「文明の衝突」一千年史 作者: 與那覇潤出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2011/11/19メディア: 単行購入: 12人 クリック: 193回この商品を含むブログ (113件) を見る このは最近店頭に並んだばかりだが、早速ネットなど多くの人が感想を論じている話題の書である。古代以来の日歴史を「中国化」と「脱中国化=江戸化」という二つの異なる統治原理の間を揺れ動きながら形成されてきたものとして捉えつつ、現代の政治・経済的な混迷を世界が「中国化」する中で日がうまく対応できないところにあると診断する、明確な視点に貫かれた刺激的な日社会論ということになるだろうか。 書で使われている「中国化」とは、具体的には貴族の特権を廃し皇帝一元支配が確立した宋朝中国の統治原理を一般化した概念を指す。それは、権威と権力の一致、政治と道徳の一体化、社会的地位の一貫性、経済

    理念型としての「中国」 - 梶ピエールのブログ
  • asahi.com(朝日新聞社):「信長平氏説」揺らぐ?墓石で先祖の没年判明 福井 - 社会

    印刷 織田信長の肖像画(所有者長興寺・写真協力豊田市郷土資料館)親真の没年が刻まれたとされる石造物=越前町教委提供信長のルーツ  戦国武将、織田信長のルーツとされる福井県越前町の剱(つるぎ)神社付近で、信長の十数代前の先祖といわれる「親真(ちかざね)」(生没年不詳)の没年を記した墓石の銘文が確認されたと1日、町教委が発表した。親真を平清盛のひ孫とする説について、刻まれた没年とい違うことから、信長の先祖は平氏ではなく、剱神社の神官とする説が強まったとしている。「信長平氏説」をめぐる議論に一石を投じそうだ。  町教委によると、墓石は同神社近くの法楽寺で出土した石造物233点の一部。墓の台座とみられる破片に「喪親真阿聖霊正應三年庚刀二月十九日未尅」、側面に「孝子七月吉日」と銘文が彫られていた。「親真は正応3(1290)年2月19日に死去。孝行な子どもが5カ月後の7月に建造した」と読めるという。

  • asahi.com(朝日新聞社):信長との和睦で埋めた濠? 奈良・橿原で一部出土 - 社会

    印刷 16世紀後半ごろとみられる濠の一部(手前)=奈良県橿原市  堺と並ぶ商業都市として中近世に栄えた奈良県橿原市の今井町で、大量の土砂で埋められた、16世紀後半ごろとみられる濠(ほり)の一部が見つかった。市教委が21日発表した。当時、自治都市だった今井町は戦国大名の織田信長と敵対しており、信長と和睦した際、その条件として埋められた可能性があるとしている。  濠は幅約2メートル、長さ約10メートル、深さ約80センチ。当時の今井町の南西端にあたる場所で、ほぼ南北方向に延びていた。すぐ東側では市教委の1996年度の調査で三重の濠が出土しており、この外濠の一部とみられる。目立った遺物はなかったが、16世紀後半の茶碗(ちゃわん)とともに99年に出土した濠と形状が似ていることから、市教委はこれと同時代のものと判断した。  今井町は16世紀半ば、一向宗門徒の武装自治都市「寺内町(じないまち)」として発