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asahi.com(朝日新聞社):信長との和睦で埋めた濠? 奈良・橿原で一部出土 - 社会
印刷 16世紀後半ごろとみられる濠の一部(手前)=奈良県橿原市 堺と並ぶ商業都市として中近世に栄... 印刷 16世紀後半ごろとみられる濠の一部(手前)=奈良県橿原市 堺と並ぶ商業都市として中近世に栄えた奈良県橿原市の今井町で、大量の土砂で埋められた、16世紀後半ごろとみられる濠(ほり)の一部が見つかった。市教委が21日発表した。当時、自治都市だった今井町は戦国大名の織田信長と敵対しており、信長と和睦した際、その条件として埋められた可能性があるとしている。 濠は幅約2メートル、長さ約10メートル、深さ約80センチ。当時の今井町の南西端にあたる場所で、ほぼ南北方向に延びていた。すぐ東側では市教委の1996年度の調査で三重の濠が出土しており、この外濠の一部とみられる。目立った遺物はなかったが、16世紀後半の茶碗(ちゃわん)とともに99年に出土した濠と形状が似ていることから、市教委はこれと同時代のものと判断した。 今井町は16世紀半ば、一向宗門徒の武装自治都市「寺内町(じないまち)」として発
2011/11/22 リンク