と言うワケで前回に続いて論文とか《清史稿》とか《清三朝実録採要》あたりをザラッと読んでまとめたメモなのです。 ドルゴンの勢力拡大⇒ 翌順治元(1644)年4月、今度は正藍旗所属のホロホイiが正藍旗旗王である肅親王・ホーゲがクーデターを謀っていると告発。 ホロホイの供述 :両黄旗の実力者を味方に付けたホーゲはドルゴンが元々身体が弱く病がちなので、摂政の職務を全うできないと断定。 :豫親王・ドドも以前はホーゲ擁立に動かなかったのは間違いだったという発言をしていた…と、ホーゲが語った。 :ホーゲはホラホイらも自派に加わるように強要。 この事件により、ホーゲの推戴者とされた大臣達は処刑され、ホーゲ自体も多羅肅郡王に降格され、失脚している。 入関直前⇒ 同月、大明滅亡の報に接すると、ドルゴンは范文程ら漢人旗人の入関の献策を入れて李自成の大順を制圧するために出征。 この際、ドルゴン勢力圏である両白旗、